キューバの旅


 2005年10月末から11月あたまにかけて
キューバに行ってきました。
サルサ音楽発祥の地、キューバをこの目で見て、
本場の音楽を感じてみたかったのです。
 
 今回は首都ハバナに滞在したのですが
スペイン植民地時代、アメリカ統治時代、
社会主義国家としての現在のそれぞれの時代が
今という空間の中に共存しているような
印象を受けました。
例えば、スペイン様式の美しい建築物の
隣に1900年代前半のアメリカ風リゾートホテルの
廃墟などがある風景に
出くわしたりするからでしょうか。
また、街を走る車のクラシックぶりにも
目をみはります。
比較的新しい車はレンタカーのみで、
庶民の99パーセントは1950年代あたりの
アメリカの車です。
筆舌に尽くしがたいがたがたのオンボロ車です。
しかし、キューバ人は明るいから
不思議とあまり悲壮感が伝わってきません。
街を歩いているとよくエンジンを車から取り外して
修理している人を見かけたりして、
オンボロだけど大切にしているんだろうな、
と思わせます。
熱い国なのにクーラーもついてないし、
多少窓ガラスが割れていてもあまり気にする風でも
ありません。
自国で生産もしていないし、
輸入もほとんどしていないのでしょう。
車に限らずアメリカと国交を閉ざしていることも
大きく関係するでしょうが、日本などと比べると
たいへん商品としての物質が少ないです。
電気店などに入ると、まずあまり売っているものも
ないし、あっても正直ラジカセのような
オーディオは日本の
20年から30年くらい昔のモデルにみえます。
しかし、物がないから物を大切にする心は
とても大切なこととです。
先進国のたくさん作って、たくさん捨てる市場原理は
やはり見直されるべきでしょう。

 また、面白い風景は車が走る道路脇でたくさんの
人が立っていて、車が向こうからやってくると手を
一斉に挙げるのです。
これはタクシーをひろうのではなく、
一般の車をひろうためです。おそらく小額の
運賃を払って
「もし行き先が一緒だったら乗せてね」みたいな
事だと思います。
こんな光景はキューバ人はみな助け合い、
そして街中の人々がお互い友達の
ように見えてきます。
物を大切にし、助け合い思いやりのあるのが
キューバ人です。
 治安を心配する人もいるかと思いますが、
少なくともぼくが訪れた時のハバナは
とても穏やかでした。
近年、キューバは観光収入も増えてるようで
観光客の安全のためにも街にはたくさんの警官が
立っています。

              

 キューバの歴史


 キューバは1492年にコロンブスが
スペイン女王イサベルの援助で行った
第一次航海によって発見された島です。
面積は110.860平方キロメートルで
北海道と九州を足した面積に近いです。
よく言われることですが、発見したといっても
もともとタノイ、アワラクと呼ばれる原住民が
住んでいたわけですから発見というのは
ヨーロッパ人側からみた横暴な
解釈でもありますね。
この先住民族は1511年からのスペイン遠征隊に
よって征服され、虐待や強制労働、
疫病などによって絶滅したとされています。
 その後、約400年のスペイン植民地時代を
経て1902年、アメリカの軍事力の協力を得て
キューバは独立しました。
・・しかし、この独立はアメリカの新たなる
支配でもあったわけです。
アメリカ資本が進出してきて主要産業である
製糖産業を牛耳り、やがて国民の不満が
高まっていきました。
アメリカ企業が利益を独占し、
マフィアも暗躍し治安が悪化していきました。
 そこで、現れたのが現首相フィデル・カストロと
アルゼンチン人医師チェ・ゲバラです。
この二人が中心となってアメリカ資本であった
当時のバティスタ政権をゲリラ闘争の末、
崩壊させました。
ゲリラ闘争は1956年から12月から
2年あまり続いた。
バティスタは1959年1月に国外逃亡し、
ここに革命政府が誕生し現在のキューバに
至るわけです。

キューバ音楽


 キューバ滞在はわずか4日間でしたが夜は
毎晩ライブハウスに通い、キューバ音楽を
堪能してきました。
素晴らしかったのは初日にいったトロピカーナと
いう野外ステージです。
ここはキューバ音楽の老舗です。
宿泊していたハバナ旧市街からタクシーで
15分くらいの距離ですが、市街地から少し離れると
もうまわりには何もなくなり
あるのは暗闇だけです。ほんとにこんな所に
野外ステージなんてあるのだろうかと
不安になりました。
・・しかし、タクシーの前に突如として現れたのは、
眩しいほどの光を放つ巨大近代的ステージでした。
オーケストラがステージの正面のずいぶん
高い位置にいます。ステージは左右にもせり出し、
さらに上下の階層式にもなっている。
90人ものダンサーがいろんな高さにいて
踊っています。
お客はあっちをみたり、こっちを見たりと
なかなか首が疲れますが
照明、音響、音楽、パフォーマンスも最高です。
 ライブは午後10時から2時間くらいですが、
ライブ終了後はオーケストラの何人かが
残ってお客が踊れるように
サルサを奏でてくれます。
お客はみなステージ前のフロアで、
大盛り上がりでしばらく踊ります。
このようにライブ後にお客が踊りだすパターンは
キューバのどのライブハウスでも同様です。
サルサはとても演奏も難しいものですが、
やはり根本は踊るための音楽でもありましょう。

 
トロピカーナのステージ


 キューバ音楽の起源は1850年代
オリエンテ地方発祥の
「ソン」という音楽だそうです。
ソンは一般的に前半のメロディーの歌曲形式と、
後半のモントゥーノと呼ばれるソロ歌手とコーラスの
掛け合いの形式をとっています。
その後、ソンはルンバ、マンボ、チャチャなどに
発展していき、さらにニューヨークに渡り、
ジャズやロックのテイストを
取り入れていきました。
このソンを起源にもつ現在のキューバ音楽を
一般的にサルサと呼んでいると思われます。
サルサと一般的に言われるようになったのは
1970年頃と以外と最近のことのようです。
昔ながらのソンはハバナ旧市街のカフェなどの
あちらこちらで、ライブで聴くことができました。

 キューバ音楽の音楽的特徴にはクラーべと
いうものがあります。
クラーべとはこのキューバ生まれの音楽全般に
おけるリズムのアクセントのことです。
通常、クラベスという棒状の拍子木で曲中、
厳格に終始演奏されます。

 2-3 ソン・クラーべ  


 上記の譜例がソン・クラーべと
呼ばれるリズムです。
1小節目が2つのアクセント、2小節目が
3つのアクセントからできているので
ツー・スリーと呼ばれます。
これが2小節目から始まる場合もありますが
その場合はスリー・ツーと呼ばれます。
クラーべはメロディーや伴奏と密接に
関わっていますが基本的には
ツー・スリーとスリー・ツーは逆転しません。
(もちろん例外もありますが)
このたった5つのリズムのアクセントがどうやら
キューバ系音楽の聴衆を躍らせるための強力な
起爆剤になっています。
思わずステップを踏みたくなるような魔法が
隠されています。

 もうひとつ興味深いことはスペイン音楽との
相違点と共通点です。
キューバは長い間、スペインの植民地でしたから
もちろんスペインの音楽のフラメンコの
影響を受けているようですが
今日のサルサとフラメンコを聴き比べてみると、
だいぶ異質な音楽に思えます。
(どちらも歌はスペイン語ですが)
ライブでもサルサではお客がみんな
踊りだすのに対して、フラメンコでは逆に静かに
じっと聴き入っているものです。

 しかし、リズムの根っこにはフラメンコにも
5つのアクセントがあるという面白い
共通点があるのです。

 ソレアのリズム  


 上記譜例はフラメンコで重要な曲種である
ソレアのリズムです。
4分の3拍子で表記してありますが実際は
12拍(4小節)でひとつの単位(コンパス)とする
12拍子とする考え方です。
丸でかこんだ3,6,8,10,12拍に
アクセントをつけます。
つまり5つのアクセントですね。


たべる・のむ


 キューバ料理は全般的にスペイン料理のように
オリーブオイルがきつくないので日本人には
合うと思いました。
コングリと呼ばれる黒豆を煮込んだキューバの
代表的料理もなかなかおいしいです。
しかし、一番感動したのは実はハバナの中華街の
東坡楼(TONG PO LAUG)という店で食べた
巨大ロブスターです。
ロブスターを食べやすいようにカットして
熱い鉄板の上に乗せて出てくるのですが、
そのボリュームと安さ(12ドル程度)に驚きます。
あまりの感動で2日連続通いました。
この店は他の料理もおいしい。
(キューバ料理でなくてスイマセン)
 お酒は何といってもさとうきびで作った
ラム酒が有名で地元の人も実によく飲んでいます。
ライブハウスなどでは音楽を聴きながら、
踊りながら、みんなハバナクラブというラム酒を
コーラで割って飲んでいます。
そして、キューバ生まれのカクテルといえば
モヒート!
モヒートはラム酒をベースにライム、
砂糖、ソーダ水、
たっぷりのミントの葉を入れステアします。
普段はあまりこのようなかなり甘めのお酒を
ぼくはほとんど飲みませんが、
カリブ海からやってくる風につつまれながら
グラスを傾けるととても幸せな気分になれます。

困ったこと


 正直、大きなトラブルはありませんでした。
ただ、以外とクレジットカードが使えない場所が
多く現金(ペソ)が足りなくなり、
日本円を換金する銀行を探すのに少々、
苦労しました。


まとめ


 キューバはたいへん興味深く、楽しい国でした。
ある日、ハバナからレンタカーで東の方に足を
のばしましてみました。
がたがたの山の悪路の先に、
目の前に突然あらわれた青いカリブ海の美しさは
忘れられません。
 また、必ず行きたい場所になりました。