2010年、スペイン・巡礼の道の旅は、
続いていよいよポルトガルへと
進んできました。       
ポルトガル語を話せないぼくの今回の
ポルトガル人とのコミュニケーションにおける
戦法は次のようなものです。
「ノ アブロ ポルトゲス、ぺロ 
ウンポコ エスパニョール」
(ポルトガル語は話せません、
でもスペイン語ならちょっと・・)です。
すると「バレ、バレ」
(オーケー、オーケー、スペイン語で話せよ)と、
いった状況にもちこむことができます。
スペイン語とポルトガル語は、かなり近い言語で
国も隣同士なのでネイティブ同士だったら
ほとんど会話は問題ないようですが、
ノン・ネイティブのぼくにはなかなか
ポルトガル語の敷居は高いように感じます。
 またポルトガルでの英語の通用度は少し低く、
ホテルと空港以外ではなかなか英語は
使われていない印象をもちました。
(とくに後に立ち寄ったフランスでは
レストラン、土産屋でも結構、
英語が使われていたから余計そう
感じたのかもしれませんが)
我ながら、なかなか使える戦法でした。

 ぼくの旅はそれほど時間のある長期の
旅ではないので、自由な旅といっても事前の
大まかなイメージするルートに沿って、
宿泊するホテルの場所をその日その日で
微調整していくといったものです。
しかし、それでも家人と自分と旅のイメージの
微妙な差異が化学変化を起こし、
とんでもないところに行き先が変わって
しまうことが、時々ある。
だいたい、よい方向に転ぶことが多いが
今回のポルトガルはその中でも心に残る
特筆すべきものでした。
今回もまったく予定していなかった
場所に行くことに・・。

4日目 変更の多い旅 ポルトへ

初日から変更・・

         

 昨夜はライトアップされて幻想的だった
サンティアゴのカテドラルは翌朝には青空に
突き刺すように凛としてそびえ立っていた。
ホテルの朝食をとり、チェックアウトをすませ
出発の30分ほど前、カテドラルのまわりを
散策したり土産物屋でおみやげを
買ったりして10:00過ぎ、ポルトガルを
目指しサンティアゴを後にした。

 毎日、毎日の長距離の移動はさすがに、
せわしない。
そこで、当初のプランではこの4日目は
ポルトガルのリスボンまで一気に移動して
しまい、2泊してのんびりしようと考えていた。
しかしサンティアゴからリスボンまで直線で
ざっと500キロ。巡礼の道のことを思い出し、
これもちょっとキツイかなと思い直し、
本日のリスボン行きは中止し、
途中にあるポルトにあっさり変更することにした。
(この日の移動距離は200キロ)
宿泊予定地は増えてしまったが、
のんびりとしたドライブができる。
あえて高速道路を降り、スペイン側の国境の町、
トゥイ(Tui)を走ったりしてみた。
ミーニョ川沿いにあり、パラドールも
ある素敵な町だ。
 再び高速道路を走っていると13:25国境を
越えポルトガルに進入。
目的地ポルトが近くなってきたので下道におり、
ゆっくり走っているとアウトレットストアが
あったので立ち寄って
買い物をした。ポルトガルは革製品が安いようだ。
そうこうしてるうちにもう夕方だ。
昼食のタイミングも逸してしまった。
ポルトに至るまでハンドルをにぎっていると
右手には大西洋。沈みゆく太陽がまばゆい。

           


川の街、ポルトへ

 リスボンに次ぐポルトガル第2の都市、
ポルトに18:00到着。
ドウロ川の北岸の丘陵地に築かれた
起伏の多い街です。
人、交通量、せまい道路の路駐が夕方の
時間帯もあり、たいへんなカオス状態。
それに加え、急な坂道ばかりには、
いささか閉口。
(久しぶりにマニュアル車の坂道発進が、
ずいぶん鍛えられた)
この日もホテルの予約はとっていなかったので、
夜の大混雑の街中をとにかく
ホテル探してぐるぐると。
iPhoneは使えるようになり現在位置は
つかめるようになったが、とにかく自分の
車を停める駐車場がまったくないのだ。
 1時間くらい同じような坂道を
彷徨いながらも、ある細い石畳の通りに
入ってみるとその先で、おじさんが手招きしている。
そこはほんとに小さな広場で、1台だけ
駐車スペースがあり、「ここに入れろ」と
教えてくれていたようだ。
しかし、どう見ても単なる路上駐車。
誘導してくれたおじさんは、駐車場を
公的に管理してる人物のようにも見えないし、
風貌がル〇ペンに見えなくもない。
お金を請求するでもなく、まったく個人的に
趣味で交通誘導をしているのだろうか・・。
とりあえずお世話になったので
2ユーロをお礼に手渡した。
車を停めた場所の前は床屋さんで、
店の中の人も出てきてここは駐車していいよ、
この先にホテルがあるよ、
など親切に教えてくれた。ポルトガルの
人は実に優しい。
そこから石畳をスーツケースを引いて
ガラガラ歩いているとバターリャ広場に
すぐ出てしまった。
路面電車も行き交う、賑やかな場所で
ホテルも数件あった。
今夜は「Quality Inn」というホテルに
70ユーロで泊まることにした。

         
駐車場おじさん         

 チェックイン後、空腹のためポルトの街の
レストランを探すが、なかなか見当たらない。
スペインの繁華街なら目移りするくらい
レストランがひしめきあっているのに
不思議だなと思いつつ、しばらく歩いていると
やっと店頭で肉を豪快に炭火焼している店を
1軒発見したので、迷わずに入った。
今回の旅では豚肉をよく食べました。
ポルトガルの豚肉はおいしい。


5日目 リスボンへ

 今日もよい天気だ。
ホテルで朝食、チェックアウトを済ませ、
車のところに戻ってみると昨夜の
駐車場おじさんが今朝もまじめに
(ぶらぶらと・・)勤務中だった。
表情は怒っているような、微笑んでいるような
不思議な人だ。(きっと、よい人だろう)
車を出すときも誘導してくれたので、
1ユーロを手渡し別れを告げて10:00、
リスボンにむけて出発した。
今日の移動距離は約300キロ。
 
 今回の運転では縦長の形をした
ポルトガルを北から南まで突っ切ったような
ルートで走りましたが、
高速道路はたいへん走りやすいものでした。
しかし、スペインではほとんど、必要なかった
高速料金がポルトガルではちょこちょこと
徴収されます。
日本円でおそらく合計6、7千円くらいだった
でしょうか。(クレジットカードで対応)
 
 13:00順調にリスボンに到着。
巨大なテージョ川流れる美しい
ポルトガルの首都、リスボンだ。
この街も坂が多く、人と車でごったがえしていて、
駐車スペースに関してはポルト同様、
最悪(停める場所がない)です。
まだ時間も早かったので、ホテルを
決める前にレストランにいって
腹ごしらえをすることにした。
 繁華街の急な坂をおりていくと、
やがてテージョ川が見えてくる。
そこには観光船のフェリーターミナルがあり、
唯一大きな駐車場があったので、
とりあえず停めることにした。

         
リスボンに
コルコバードの丘が
 
       

 川を遊覧するフェリーに乗り込む
人々は楽しそうだ。
フェリーターミナル付近はウッドデッキなっており、
おしゃれなレストランもいくつかある。
テージョ川の向こう岸の丘には両手を広げた
キリスト像(形はリオのコルコバードの
丘のものとまったく同じ)が見える。
ここはブラジルのリオだろうかと、錯覚してしまう。
川と思えぬ雄大で美しい景色だ。
「PRTOVGALIA」というシーフードレストランに
入り、またしても豚のグリル、
エビ入りのトマトベースのソースにライスが
添えられている日替わり定食、
ミックスサラダを注文した。
エンパナーダとカニの甲羅グラタンも
サービスでついてきた。どれもリーズナブルな
値段でおいしかった。

 食後しばし、長大なテージョ川の川べりの
気持ちよい散歩を楽しみ、
今夜の宿探しに再び出発する。
今夜はポルトガルの音楽・ファドを
聴いておきたかったのでファド・ハウスの
多くあるバイロ・アルト地区の近くに
宿を借りたいと考えながら繁華街を
駐車場探して、車を流した。
坂ばかりの狭い道路は途切れることなく
びっしりと路上駐車の車が連なっていて、
ホテルを探すというより
わすかでもいい駐車スペースを
見つけるのに必死だった。
 1時間以上、運転しているとやっと
前方に出て行く車があったので、
すかさずそこに自分の車を滑り込ませた。

         
どこも車でぎっしり        Janelas Verdes 

 車を停めた場所の前には偶然にも
1軒のホテルがあった。
呼び鈴を鳴らし、重厚な扉を開けてもらうと
ポルトガル美女のスタッフがおり、
1泊130ユーロとのこと。
繁華街からちょっと離れていたので、
少し高いかなと感じながらも、これも何かの縁。
このホテルに泊まることにした。
外観はこじんまりとした、地味な4階建ての
ホテルと思いきや中は吹き抜けになった
立派なつくりで、
家具や装飾品も高級感あふれる。
聞けば18世紀は宮殿として使われていたらしく、
なるほどうなづける。
特に屋上のテラスからはテージョ川の夜景が
一望でき素晴らしい。
「Janelas Verdes」という名のホテルで近くには
サントス駅がある。偶然に出会ったホテルで
ありましたが大満足です。

 チェックインし、ひと休みしてから夜の
リスボンにくり出す。
1度、坂の街を行きかう路面電車に
乗ってみたかったので、行き先もわからなかったが
たまたまやってきた路面電車に
飛び乗った。
通り過ぎる景色を眺めているとまるで
タイムスリップして中世の街中にいるような
気分になります。
今も市民の足として重要なものなので、
車の量もたいへん多いですが、
両者うまく共存しています。
 10分ほどでどうやら終着駅に到着してしまった。
繁華街をはずれ住宅街に来てしまったようなので、
そこでタクシーをひろい「賑やかな場所へ」と告げ
バイシャ地区のロシオ広場に連れていってもらった。
ショップもたくさんあり活気ある場所で
しばらく散策していたが、ホテルで教えてもらった
ファド・ハウスのライブの時間が
迫ってきたので再びタクシーに
乗りバイロ・アルト地区にむかった。

         
     ファド・ハウス   べレンの塔 


 ファド・ハウス「A SEVERA」には20:30に
入店し、ライブは21:00から。
薄暗い店内に案内されテーブルにつくと、
ウエイターが大きなプレートに調理前の
エビや貝やらの現物を見せにやってきた。
夕食はまだだったのでエビのボイルと、
あさりのワイン蒸し、ミックスサラダと
ワインを注文した。
ちょっと料金は高いな、と思った。
 音楽が始まるまでに食事をしているとやがて
9:00にライブがスタートした。
歌手は男性1人、女性3人の計4人。
1人が2曲ほど歌うと、次の歌手へと交代していき
このローテーションを何度も繰り返す。
伴奏はギター2人と、ファドギター1人の3人だけ。
ファドは哀愁のある暗い曲ばかりと思っていたが、
けっこう明るい曲もあった。
みなさん、うまいのだがまったくリズム楽器が
ないと子守唄のごとく聞こえてきてさらに
連日の運転とワインも手伝ってか眠たくなってきた。
2時間ほどがんばったが、ここであえなく
睡魔には勝てず退散・・。
ライブはこの後も続いていたようだ。

 明日はまったく予定していなかった
モンサラーシュへ。


6日目 モンサラーシュへ

 出発前の予定では今日はスペインの
アンダルシア地方に行くはずだった・・。

 旅行中の深夜、家人はインターネットで今いる
土地のことをいろいろ調べていた。
そこで、ポルトガルで一番美しい村といわれる
モンサラーシュという村を発見したようだ。
一番美しいといわれて、ぼくの食指も
刺激されてしまった。
スペインが目と鼻の先にあるような
国境沿いの小さな村でリスボンからは
200キロほど東に走ることになる。

 予定は大幅に変わるが方角は間違っていないし、
ホテルの予約もないしと安易に考えて
このポルトガルのアルト・アンテレージョ地方に
あるモンサラーシュという村へ行く提案
(予定変更)を受け入れることにした。
(マドリッドで借りたレンタカーは2日後、
マラガの空港で返却することになっている)
 ホテルをチェックアウトし、車に荷物を積んだ後
周辺を少し散歩し、近くにあるリベイラ市場を
のぞいたりした。
乾燥したイチジクがずいぶん安かったので、
おみやげ用に2袋購入し11:00に出発した。

橋に乗れない・・

 テージョ川は大きな河口になっていて
2つの橋がかかっている。
1つは4月25日橋(22.2キロメートル)、
もう1つはバスコ・ダ・ガマ橋でなんと
全長17.2 キロメートル!
1998年に完成し、航海者バスコ・ダ・ガマの
インド到達500年を記念してそう名づけられたそうだ。
ヨーロッパ最大のこのバスコ・ダ・ガマ橋を
渡ったわけですがまあ、行けども行けども橋の上、
川の上なのです。
ちなみにこれ以上、長い橋があるのだろうかと
調べてみたら上には上がいるものですね。
アメリカのポンチャートレイン湖コーズウェイ
いう橋が驚きの世界最長38.41キロメートル!!
ほぼ、この橋だけでフルマラソンができますね。
いつか渡ってみよう。

 とにかく、モンサラーシュ方面に行くには
このどちらかの橋を通過しなくてはならない。
はじめは、4月25日橋に乗ろうと考えていましたが
橋の乗り口付近は一方通行が多く、
目の前に橋は見えてはいるのですが
なかなかな乗れずリスボン市内の同じ場所を
何度も行ったり来たり・・。
iPhoneの地図で現在位置を確認しながら
走っていたが、ナビに若干のタイムラグが
あったり、一方通行や複雑な交差点などの
おかげで、1時間半もの時間を浪費してしまった。
迷いに迷ったあげく、やっと乗った橋は
目標としていた4月25日橋ではなく何故か
バスコ・ダ・ガマ橋だった。

 結果、ヨーロッパ最長の橋を走ることができきて
話のネタにもなってよかったんですが、
・・つかれた。

         
 バスコ・ダ・ガマ橋    ルドンドの町    

 14:00過ぎ、リスボンから120キロの位置にある
ルドンドという町に休憩と昼食のため降り立った。
この町は小さいが陶器作りで有名でいくつかの
工房があった。
町の中央に駐車場があったのでそこに車を置くと、
すぐ近くにおしゃべりしたそうなおばあちゃんが
こちらをじっくり見ている。
陶器工房の場所を尋ねると、素敵な笑顔で
丁寧(何度も)に道の説明をしてくれた。
少し歩けば小さなレストランや雑貨店の
連なるところには、町の男たちがたむろして
おしゃべりしている。
開いてるレストランを聞けば、2、3人の男たちが
同時に、わーっと
「ここがいい、あそこの店がいい」
などと教えてくれる。
残念ながら時間が遅く、いくつかのレストランを
回ってみたが昼食をとることができなかったが
みんな明るくて底抜けに優しい。
行き先を変更して、今日はここに泊まりたくなって
しまったほどだ。
町の酒場で飲めば楽しいだろうな・・。

 いくつかの工房をまわり、かわいらしい絵が
あしらわれたコーヒーカップを3つ買った。
皿などの食器類も充実していて他にも
買ってみたかったが、あまり荷物も
増やせないので我慢した。
1時間ほどこの美しい町で過ごし後ろ髪ひかれる
思いで、目的地モンサラーシュを目指して出発する。

 ルドンドからモンサラーシュまでの100キロほどの
道のりはほんとうの田舎道です。
見渡す限りの草原、そして時折あらわれる牧場の
牛や羊や豚たち。
モンサラーシュから眺める夕日はきっと
素晴らしいに違いない。太陽はかなり傾きつつあり、
行き先を急ぐ。
目的地に近づくにしたがって緩やかな上り坂が
続いているようだ。
 やがて小高い山の上に城壁に守られた夕日に
染まる小さな町らしきものが遠くに見えてきた。

         
         

 18:00過ぎ、太陽が地平線にかくれてしまう
最後の一瞬のようなタイミングに、
モンサラーシュに到着。
そこには360度見渡せる視界の中に
平原、湖、点在する家々の完璧な
レイアウトが広がっていた。

 村全体は城壁で囲まれていて入口に駐車場が
あったのでそこに車を置いて、
日が沈むのを眺めていた。
昼食は非常用にもっていた果物を
とっただけだったので、かなり空腹だったが
やはりホテルを決めてしまうのが先決だろう。
ホテルに関してはまったく情報を
もっていなかったので、村の細い路地を歩きながら
目についた2軒のホテルの部屋を
見せてもらい2軒目の
「CASA PINTO」というホテルが気にいったので、
ここに宿泊することにした。
 ある意味今までで最も感銘を受けたホテルの
ひとつとなりました。
一言でいうと完璧なのだ。
何が完璧かというと、ホテルのコンセプト、
各部屋のコンセプト、そして塵ひとつないような
清潔さがである。
部屋は全部で5部屋しかなくどれもそれほど
広いものではなかったが、
それぞれの部屋がインド風、
アジア風といったようにきちっとコンセプトが
決められていて壁、ベット、バスルーム、電灯、
装飾品の数々がすべてが見事に計算され
配置されている。
 ぼくはインド風の部屋を選んだ。
部屋のひとつひとつの吟味されたであろう
装飾品などを関心しながら、観察してみても
わずかなホコリすら
発見できないような繊細な気配りが感じられる。
ホテルオーナーの自己のコンセプトと、
お客に対するもてなしの心がこんなにも高次元で
両立しているホテルを他に見たことがない。
もちろん、人それぞれ好みがあるでしょうが、
部屋やエントランス、食堂の美しさにぼくは
たいへん感動しその後、旅行を終え日本に
帰ってきてからもこのホテルの強い印象が時々、
胸をよぎる。

             
 CASA PINTO            


 チェックインをすませホテルの近くで
郷土料理を食べられるレストランを教えてもらった。
外へ出ると静かな村はさらに
静かな闇につつまれていた・・。
歩いて数十歩のところに薦められた
「LUMUMBA」というレストランがあった。
店内はあまり広くはなかったが
観光客らしき人たちが10人ほどいたので
賑やかだった。
郷土料理といわれた豚のグリルと、
マトン(羊)のシチュー、そしてワインを頼む。
どちらもおいしかったが、マトンはけっこうな
歯ごたえで独特のクセもあるので苦手の人も
少なくないだろう。
ぼくは北海道育ちでジンギスカンを
食べなれているので、むしろ肉はクセが
あるくらいの方が好きです。

       
    マトンのシチュー   


7日目 マラガへ

 この日のモンサラーシュで見た朝焼けも鮮烈で
また格別だった。

「CASA PINTO」の朝食は派手なものでは
なかったが、焼きたてのパンはとてもおいしく
そして食材には身体によいものばかりを
厳選しているように感じられる。
とくに、様々なチーズの中でも
カマンベールチーズは今まで食べた
カマンベールで一番だった。
朝食はスペイン人のオーナーが一人で
給仕してくれるが、隅々まで温かい心遣いが
行き届いている。

         
         小さな食堂

 10:20出発。マラガまでは、およそ450キロ。
モンサラーシュを出発してからしばらく
山の中を走ることになる。
12:00バランコスという山間の小さな村で休憩。
スーパーでワイン、蜂蜜、アーモンドを買う。
村を出る時、どうやら道を間違って細い路地に
入りこんでしまった。
路地のつきあたりまで、いってしまうと、
そこに住むおばあちゃんが出てきて親切に
道を教えてくれた。
Uターンまで手伝ってもらって助かった。
12:30ポルトガルからスペインの国境を越える。

             
            国境を越える 

 14:00イグエラのレストランで昼食。
またしても、郷土料理は豚の煮込み料理だったが
飽きることなく、おいしく食べた。
15:30セビーリャを通過。
やっとマラガまで半分くらいきた。
ここらからは、広く走りやすい高速道路が続き、
ずいぶんスピードがだせる。天気も最高だ。
マラガに近づくほどに景色が変化していく。
道の両側には今まで目にしなかった
草木のない岩石ばかりでできた荒涼とした
山々が次々とあらわれてくる。
実にアンダルシア的な情景。
車の中にいては潮の香りはしないはずだが、
確実に海に近づいていることに嗅覚が
反応しているような気がする。

 18:00地中海の街、マラガにたどり着いた。
ホテルの予約はなかったが、
インターネットでアタリをつけていた海岸沿いの
ホテルを目指す。
高速道路をおりた時、安心からか不覚にも
上着を脱いだとき、同時にシートベルトを
はずしてしまっていたことを忘れていた。
交通量の多い街中を走っていると、
案の定そんな時にかぎって警察に見つかるのだ。
促されるまま、路肩に車を停め、
国際免許証を提示した。
本来、切符を切られるところだろうが、
言葉がまったくわからないふりをしていたら、
お巡りさんも面倒くさくなったのか、
あきらめたのか、何事もなく見逃してくれた。
グラシアス!
(スペインでもシートベルトはお忘れなく)
19:00探していた「La Chancla」と
いうホテルに到着。
1階がレストランで2階が客室となっている
小さなホテルだが目の前に地中海が
広がっている絶好のロケーションにある。
1泊55ユーロと格安だが清潔な部屋。
マラガの中心地から少し離れているが
民家やレストランの密集するきれいな海岸です。

         
    ハモンセラーノの山     マラガの市場

 ここマラガはピカソの生地で、
ピカソ美術館など見るべきものたくさんありますが
明日はマラガ空港からパリに飛ばなくては
ならないので観光はまったくできませんでした。
海岸を散歩したり、市場をのぞく程度です。
このあたりの海岸はコスタ・デル・ソル
(太陽の海岸)とよばれおよそ300キロの
青く美しい海岸線が続く
ヨーロッパでも有名なリゾート地です。
いつかは、のんびり滞在したいものです。
それにしても、忙しい旅だ・・。


旅はフランス編へ続く