キューバの旅


 2015年の秋にメキシコとキューバを旅しました。
そのキューバ編。
11/4の夜に成田を出発し、ロサンゼルスで
トランジットし、メキシコで1泊。
そして、キューバへ。

1日目

 メキシコからキューバのホセ・マルティン空港に
家人と降り立ったのが現地時間11/6の13:00。
やはりメキシコとは違う空気。南国のそれ。
熱帯植物独特の草いきれのようなものが
大気に充満している。
心地よい汗が、全身からじわっと湧き出る。
 キューバにやっと到着できたとほっとしていたら、
空港のロビーで家人のiPhoneがどこを
探しても見当たらない。
おそらく、飛行機の自分のシートの前のポケットに
入れていたのを、そのままにして
降りてきてしまったのだろう。
「だめだねえ~」なんて言いながら、
利用したアエロメヒコのオフィスに直行し、
今、機内を清掃しているであろうスタッフに
電話で連絡を取ってもらい、シート番号まで伝え、
探してもらったが、とうとう見つからなかった。
これには、ただ意気消沈・・・。
しかし、なくなってしまったものは、仕方がない。
今夜は空港から35キロくらい離れたハバナに1泊し、
再び明日の早朝
空港に戻ってきてキューバ国内線に乗り、
キューバ第2の都市、サンティアゴ・デ・クーバに
行かなくてはならないのだ。
気を取り直して、今夜の宿を探そう!
空港の到着ロビーにあるタクシーオフィスで、
ハバナにあるカサ(民間宿泊施設)の紹介所を
教えてもらいそこまで、タクシーで行くことにした。
空港からハバナの中心地までは20~30分くらい。
10年ぶりのハバナ、ずっとまた再訪したいとの思いが
強かったのでここはタクシーに揺られながら、
心躍るところはずだが、
家人のiPhoneの紛失の事を考えると
少し気が重たい。
タクシーは熱帯の背の高い木々が両側に続く、
それはど悪くはない道を走り、
やがてハバナに入る。
細い迷路のような路地をさらにいくつか抜け、
目的地の紹介所についた。
見上げると古いビルの2階から、
かっぷくのいいおばちゃんが手を振っている。
上まで来いとのことだ。
1階の入り口の扉を開け、そこにトランクを置き、
急な階段を上っていき、
紹介所のおばちゃんに挨拶する。
ぼくらは古いソファに腰かけ、そのおばちゃんは、
それから方々に電話をかけ、
宿泊できるカサを探してくれているようだ。
 窓から下の通りを見下ろせば、まわりの建物は
実に古いものばかりで野菜を売る屋根のない屋台や、
子どもたちが元気に
走りまわっている風景を見ていると、
キューバの時間は他の国よりゆっくり
流れているんだろうな、と思わせる。

 ぼくは、心地よい風をうけ、
窓からののどかな光景を眺めていると、しみじみと
キューバにきたんだなあ・・・
と少しづつ実感が湧いてきた。
そこで、この眼下にあるキューバ的風景の
写真を撮っておこうと思い、
いつもジーンズの右の後ろのポケットに入れてある
iPhoneに手を伸ばした。
しかし、ポケットに入っているはずの
iPhoneがない・・・。
タクシーの中で少し、操作した記憶があるから間違いなく、
ついさっきまであった。
ガーン!
タクシーに忘れてきてしまったようだ。
家人がiPhoneを紛失してから、2時間もたたずに、
ぼくもiPhoneを失ってしまった。
紹介所のおばちゃんに、説明してタクシーオフィスに
連絡してもらったが
これまた、ついに見つかることはなかった。
後で、知り合ったキューバ人にこのことを話したら、
「iPhoneはキューバでは人気だから
ぜったい出てこないよ」
と一蹴されてしまった。

       

 この日、紹介所のおばちゃんは、
ぼくらの宿泊先を電話で、
2時間くらい探してくれたが
どこも見つからず、結局この紹介所の一階にある
小さな窓もない部屋をあてがわれた。
料金は30ペソなので、日本円で3.000円ちょっと。
旅行時のレートはだいたい1ペソは120円くらい。
とりあえず、今夜のベッドが確保できたので、
一安心。
贅沢をいって、眠る場所が見つからないより
よっぽどいい。
部屋に入る頃には、もうあたりがだいぶ
薄暗くなっていてのども乾き、
お腹もすいている事に気づいた。
 部屋の近くには、にぎやかな
メインストリートであるオビスボ通りがあるので、
荷物を置いて一休みして、
美味しいものと音楽を求めて、
さっそく繰り出した。
オビスボ通りは、土産屋や、
生バンドを入れたレストランが多く、
歩いていても音楽が途切れることなく、
にぎやかで楽しい。
もちろん、ライブのやっているレストランに入った。
レストランのバンドといっても、
非常にレベルは高く、
古いキューバソンやボレロが心にしみる。
店の窓は全開だが、ボンゴがいい音で響き、
フルートの音色もまた、あたたかい。
ワインを飲みながら、メニューから、シーフードの
盛り合わせグリルを頼む。
明日は朝早く宿を出て、
空港に向かわなくてはならない。
いよいよ、長い道のりの末、
憧れのサンティアゴ・デ・クーバに辿りつける!

         
         オビスボ通り

2日目
 
 早朝3時半、
タクシーの運転手が迎えにきてくれた。
サンティアゴ・デ・クーバへの
飛行機の搭乗時間は6:05、
この時間で道路も空いている。
空港まで30分とかからないだろうから、
おそらくちょうどよいだろう。
外はまだ、真っ暗な4時にも関わらず、
搭乗受付付近には、けっこう人がいた。
かなり古い空港だが、今日、利用するのは国内線。
昨日、降り立った国際線のロビーよりさらに、
メンテナンスはあまりされていないようで、
くたびれて薄暗いロビーだ。
トイレは便座なし、紙なし、水流れないの3拍子が
揃っているくらいの空港だから、
wifi接続などは、夢のまた夢。
大きなスーツケースをごろごろ、
ころがしながら受付の列に並び、
日本でインターネットから、直接このクバーナ航空の
サイトで予約をいれプリントアウトしてきた
チケットとパスポートを準備しておく。
 やっと、カウンターにたどりついた。
若い女性スタッフがぼくの差し出したチケットを
コンピューターで照合しているが
なかなか確認がとれない。
そのうち、あまりに時間が
かかるので列からはずれて、
脇にいろと言われ、なすすべもなく待つしかない。
予約したチケットも持っているし、
カード決済したクレジット会社からもこの運賃が
請求されていた。
しばらくして、他のスタッフが何だかよくわからない
予約状況が記録されたペラペラの紙を持ってきた。
そこには、ぼくの予約が入っていないらしい。
さすが、キューバ・・・。
昨日はiPhoneを紛失(盗難)してしまうし、
今回のキューバの旅の滑り出しは南国に輝く太陽とは
裏腹にぼくの気持ちを、灰色にする。
スペイン語、英語、入り乱れて、スタッフに訴え、
ねばってみたが、どうやっても
状況をひっくり返すことができなかった。

 ここで、キューバのインターネット状況について。
もちろん、キューバにも
インターネットは普及しているし、
街にはwifiの使えるエリアがある。
街でwifiを使うには、
そのエリア近くのチケット販売所で、
1時間300円くらいのチケットを購入し、
そのチケットに記載されているパスワードを端末に
打ち込み利用するシステムになっている。
ぼくも、iPhoneは失くしてしまったものの、
iPadがあったので、チケットを購入し
これに入力してみたが、うまく繋がらなかった。
キャリアか何かの問題か、この時点でぼくは、
キューバでは日本から持ち込んだ機器は
wifi接続ができないと認識した。
これは、なかなか痛手だ。(ホテルが探せない)
なぜなら、ぼくのiPhone、iPadのキャリアは
ソフトバンクで、キューバは
「海外パケットし放題」の適用外地域にあたり、
この地のキャリアを利用して、自分の端末で通常の
インターネット接続すれば、
高額請求が間違いないから。
他の多くの国では空港やレストラン、カフェなどは
だいたいwifiが使えるのを考えると、
キューバでは旅行者が通常接続、
wifi接続ともにできないことになるので、
やはりインターネットの状況は
まだまだ発展中というわけだ。
 試しに、ハバナの中堅クラスの
ホテルに泊まった時、
パソコンルームがあったので
パスワードを購入し、そのホテルのパソコンで
インターネット接続してみたが、
パソコン、OS、ブラウザ、すべてあまりに古いため
動作は異常に遅く、
現在の様々なサイトは、
まともに開くこともできなかった。
ぼくの飛行機搭乗がうまくいかなかったのも、
こんなキューバのインターネット環境とも
関係があったのかもしれない。


 サンティアゴ・デ・クーバへの道は閉ざされた。
早朝のひなびた薄暗いキューバの空港、
まだ日も昇っていない。
茫然自失、沈思黙考、次の一手もみえず、
身動きとれず・・・。
1日2本ある夜の便も満席だそうだ。
インターネットの接続もできず、この時間では
ハバナ市内に戻ってホテルを探すこともできない。
しかも、いちおうこんな時のためにレンタカーが
必要になることもあるかもしれないと、
国際免許証は取得してきたが、
この空港にはトイレの便座も、
トイレの紙もなければ、
レンタカーオフィスもない。
国際線発着のある空港に、
レンタカーオフィスがないのは本当に珍しい。
キューバはいちいち、かゆいところに手が
届かないようにできている。
空港で数時間、時間をつぶした後、ハバナ市内に
戻ってレンタカーを借り
どうこの状況を好転させようか、思案する。
(ハバナの中心地にはレンタカーオフィスがある)


 待合ロビーの様子といえば、
他にも別の場所への便があるのか、
いつ飛ぶのかわからないのか、ベンチに重なって
寝ている親子や、
けだるく暇をもてあまして立っている人々が、
たくさんいた。
長い時間、そこにいれば、同じような境遇からか、
どちらともなく話しかけたりなどする。
聞けば、この国営の航空会社は遅延や、
小さなトラブルは日常茶飯事のようだ。
競合会社がないためか、この会社のスタッフは
実ににキューバ的に、
のんびりしているし、お客であるキューバ人の方も、
慣れたものだろうから、
少々のことではいちいち、怒ったり、
イライラしたりしないように見受けられる。
 そのうち、隣にいたダニエルという20代の青年と
友達になり、彼がこれから帰省するという
フベントゥというハバナからの南へ、
150キロくらいの海上に浮かぶ島に飛ぶ便が
午前中にあるというので、思いきってその島に
一緒に行くことにした。

         
    飛行機のおしりから乗る    窓のない飛行機 

 ダニエルが面倒な搭乗手続きを手伝ってくれて、
9:00過ぎにフベントゥ島に向かう飛行機になんとか
潜り込むことができた。
島までのフライト時間は、わずか30分足らず。
あっという間ではあるが、
この時乗った飛行機はもともと
軍用機か何かだったのだろう。
乗客の乗り降りは飛行機の後部ハッチから。
そして狭い機内には窓が一つもない。
外が全く見えない薄暗い機内で飛行機が
飛びたつのを待っていると、
何だか戦地に赴く兵士の気分になって緊張してきた。
そして、やっと飛行機が動きだしたと思っても、
しばらくキューバの焼ける滑走路を、
とろとろと這いつくばってなかなか
離陸の気配を見せない。
この間、おそらく30分以上あったような気がする。
しかも、エアコンは作動しておらず、
汗がダラダラと噴き出してくる。
乗客は皆、シートの前のポケットに入っていた
緊急時の説明書きを、団扇代わりにして、
パタパタとあおぎながらなんとか、
この暑さをしのいでいる。
 なかなか離陸までのトップスピードには
乗れないのか、
飛行機は永遠に滑走路の上ををゆっくり
走り続けるのではないかと、思われた。
ぼくにできることは飛行機の安全を祈りつつ、
シートに身を沈めていることだけだ。
暑さで朦朧としてきた・・・。
しかし、ふと気づくと、いつのまにか機体は無事に
宙に浮いているようだった。
ひとまず、安心。あとは着陸を待つだけだが
相変わらず、冷房はまったくきいておらず、
汗は止まらない。
そもそもエアコンというものが、
ついていない飛行機なのだろうか、と思っていると
短いフライト時間の終盤の一時だけ機内の
上部からシュワシュワと白い蒸気のような
ものがでてきた。それは異常に
冷たい冷気だったわけで。
着陸直前になってやっと、
エアコンが動きはじめるとは・・・、
やっぱりキューバは笑わせてくれる。

 10時過ぎに戦闘機風旅客機は
フベントゥ島に到着した。
それは、小さな小さな飛行場で、
ロビーもそれに比例したコンパクトなもの。
乗客はだいたい40人くらいか。
派手な網タイツをはき、メイクが濃く背の低い漫画の
キャラのような白衣のぽっちゃり看護婦が
あらわれ、我々全員に体温計を配ってまわる。
伝染病等の対策だろう。それぞれ、
体温をはかってぽっちゃり看護婦が体温計の
チェックと回収。
南国の島に上陸する際のお決まりの検査だが、
全員問題なく通過。
小さな空港だが、成り行きで偶然訪れた
フベントゥ島の面積は3.056平方キロメートル。
日本近海で近い面積の島を調べてみたら、
3.184平方キロメートルの択捉島(エトロフ)だった。
沖縄の面積は2.281平方キロメートルだから、
なかなか大きな島だ。
 ダニエルの友だちのアレックスがボロボロの
クラシックカーで空港まで迎えに来てくれた。
この島も全くの快晴で、真夏の様相。
クラシックカーにエアコンなど期待すべきではない。
郷に入れば郷にしたがえだ。
トランクを積み込み、キューバの離島を
窓を全開にして走る。
この島には2泊することにした。
宿泊先もダニエルの知り合いがやっている
民間宿泊施設であるカサを紹介してもらった。
今回お世話になったアマリリスおばあさんと、
ロベルトおじいさんのカサには
空港から10分くらいで、
あっという間に着いてしまった。
大きな白い家の青い柵を開けて、奥へ進むと、
ぼくらの部屋があった。
部屋はそれほど広くはないが、
大きなグランドベッドがひとつ。
キューバに来てから、iPhone紛失、早朝行動、
予約していた飛行機に乗れない、
などのバタバタ続きで、やっと清潔な小さな
この部屋に人心地がつけたような気がする。

         
お世話になったカサ         


 一休みして、ダニエルと家人と3人で歩いて
15分くらいのセントロ(中心街)へ行き
昼食をとることにした。
セントロに近いカサだったので、
部屋を出て歩いていると、
野菜の屋台、ジュースの屋台、コロッケの屋台などが
そこかしこにあり、たくさんの馬のタクシーや
自転車のタクシーとすれちがったりと、のどかで
なんだか楽しい気分になってくる。
自転車タクシーは自転車に2人乗りの
荷台のようなものを取り付けている。
その自転車はバッテリーを搭載し、
なかなか立派なオーディオシステムも装備し、
大音量で音楽をかけながら街中を走っている。
自転車運転手は、さらに荷台に様々な装飾を施し、
夜ともなればネオンギラギラに
したりしているくらだから
いかに自分の自転車タクシーを個性的に見せるか
競いあっているようだ。
とても治安のよい島で、夜歩いていても安心だが、
街灯はもちろん少ないので
暗い夜道の角を曲がって、突然ギラギラ自転車と
遭遇したりしたら、驚く。
しかし、その後はあまりの派手さに思わず、
噴き出してしまうのも間違いない。

 島のセントロは古い商店も多いが美しい街並み、
平日でもずいぶんと活気がある。
キューバペソの持ち合わせが少なくなってきたが、
いくつか銀行のATMを見つけたので安心した。
セントロのレストラン、ビールで乾杯。
豚肉のグリル、魚のフライ、サラダを注文。
食事を終えて、店をでればさらに太陽が
強烈に照りつける。
たまらず、馬車タクシーをひろい、カサに帰る。
その帰路は石畳に響く懐かしい蹄の音、
ランダムな馬車の揺れが心地よく、
満腹のわが身を強烈な眠りに誘う。
キューバの島の昼下がり、長旅の疲れもピークに、
ぼくは部屋に戻って爆睡するしかない。
 
 夜8時に起きて、さあ夕食だ!
昼寝のおかげですっかり元気になった。
部屋を出て、セントロに自転車タクシーでむかう。
このタクシー料金は2ペソ。
キューバ音楽のライブをやっている店が見つかった。
そのレストランはちょっと街はずれにある2階建ての
ビルの屋上にあった。
昼間の凶暴な太陽は姿を消し、さわやかな風とともに
古いキューバの音楽が流れてくる。
10年前のキューバ旅では比較的に近代的なサルサを
率先して聴きにいったものだが、
今回の旅では不思議とキューバの古いソンなどが
心情にしっくりくる。
キューバ音楽と目の前で焼かれる
グリル料理とワインの至福。

       
 チキンと魚のグリル      

 
 


3日目


 今日も快晴!ビーチに行くことにする。
8時にダニエルとアレックスがまた
ボロボロクラシックカーで迎えにきてくれた。
目指すは半日ほどゆっくりするためのビーチホテル。
このフベントゥ島での2泊とも、
アマリリスおばあさんと、ロベルトおじいさんの
カサにお世話になるので
夕方にはまた、戻ってくる。
ガタガタの舗装されてない40分ほどのそのホテルへの
道のりにはところどころ大きな穴ぼこが
あいており、これらに落ちないよう気をつけて走る。
運転手のアレックスは穴の位置をよく
記憶しているようで、道程のほとんどを
なかなかの快速で走りながら、その穴付近になると
手慣れたように、それらを回避していくので安心だ。
おそらく、キューバ革命以前から走っている車だから
50年以上は現役を続けていることにはなるだろう。
窓ガラスにはヒビがはいり、内装といえるものは
運転にかかわる重要なもの(ハンドルとか・・・)と
ひからびたようなシート以外はこの長き労働の末、
ほとんどすべて消滅してしまったように見える。
天井、ドアすべては、鉄の骨組みがむき出し状態。
しかし、おそらくエンジンは
よく手入れしていると思う。
エンストすることもなく走りは思いのほか、
快調だから。

         
         取り外し自在の窓ハンドル

 日本では見かけなくなって久しい、
クルクルと回して開ける手動ウィンドウ。
この役目には欠かすことのできない小さな
ハンドルがどうやら、
アレックスの車には助手席横にしかついていない。
(壊れてしまったのか、盗まれてしまったのか・・)
ぼくらの座っていた後部座席側の窓を
開けるためのハンドルはなく、
ハンドルがついていたであろう鉄の軸が
むき出しになっていた。
窓は全開に開け放たれたまま走っていると、
風が強すぎたので助手席に座っていたダニエルに
どうやって調整するのかを尋ねたら
おもむろに彼は自分の席の横についていた
ハンドルをサクッと取り外し、
体をひねってそれを後部座席の横の
同じ部分にはめ込み、
クルクルとまわし窓を上にあげてくれた。
なるほど!
ぼくには、思いつかない発想で大爆笑してしまった。

         
         巨大ロブスターを1人1匹

 到着したビーチホテルの目の前には
波の穏やかなカリブ海、
プールサイドにはビーチチェアやパラソルがあり、
小さめの音量でサルサが流れている。
他のお客も少なく、海も空も理想的な青色。
空の遠いところに白い雲が浮かび、海は輝いている。
これまで、トラブルや徒労も多かったが、
こんな日があればそれら負債はすべて返済し、
それでもおつりがくるような幸福感。
ビールを飲みながら、本でも読んで、
気が向いたらプールに飛び込めばいい。
ダニエルにはまた夕方に迎えにきて
もらうようお願いして、一旦別れ
カウンターで10ペソほど払い、ぼくらはここで
のんびりすることにした。
昼食は念願のロブスター!
10年前にキューバに来たとき、
ロブスターの美味しさと安さに驚いた。
今回も、必ず腹いっぱい食べようと心に誓っていた。
せっかくの旅行でもあるし、ここは奮発して
1人1匹の注文でいくことにした。
といっても、日本円で巨大ロブスターが
1匹1.000円くらいだから、
躊躇はなかった。
そのうえ、ビーフステーキなども頼んでしまった。
炭火でグリルされて運ばれてきた
ロブスターはやはり、
まるまると太っていて迫力あり、
歯ごたえも見た目の期待を裏切らず
ブリッとしている。
感動の一食で、このまま死んでもいいくらいだ。
しかし、ナイフで切っては口に運び、
胃におさめてからまたナイフで切っての繰り返しは
このロブスターの大きさゆえなかなか、終わらない。
後半は、少し飽きてきたくらいだ。
キューバの豊かな海に感謝。
夕方まで、プールサイドで寝たり、本読んだり、
ビール飲んだり、プールで泳いだり、
スコールにはしゃしだりして過ごして、
またアレックスの車でカサに戻る。

 夕食は昨日のレストランが気にいったので
今日も同じところに、行くことにした。
このレストランは料理も美味しいし、音楽もいい。
(Tu Islaというレストラン)
ハウスバンドはギター、トレス、ウッドベース、
マラカス、ボンゴ。
電気楽器は使っていないが屋外でも
音量バランスはちょうどよい。
ボンゴのグルーブとその遠くまでよく届きそうな
音色についつい腰も動きだしてしまう。
リクエストしたらなんでも演奏してくれ、
味わい深い。
みんなハバナの音大で勉強したそうだ。
2夜連続で通ったら、
バンドメンバーと仲良くなって、
ぼくもギターを弾いて少し
セッションさせてもらった。
ぼくの英語、スペイン語の技量は相変わらず
貧弱なものだが、一緒に演奏すれば言葉は
それほど重要ではなくなる。
音楽はやはり、世界共通言語だ!

     


4日目

 はやいもので、フベントゥ島で予定の
2泊を消化してしまい、
今日またキューバ本土に戻らなくてはならない。
ダニエルも今日の夜の飛行機で本土に
帰るとのことだったので、
一緒の便に乗ることにした。
昼間はセントロをぶらぶら散策し、夕方の16時に
ダニエルと一緒に空港へ向かった。
空港の待合室は売店ひとつなく、
ベンチがいくつかあるだけで簡素の極み。
予定では18時に飛ぶはずの飛行機だが、
なかなか搭乗手続きの気配がなく、
出発時刻はズルズルと遅れていった。
みんな、キューバでは時間通りには
飛ばないのは承知済みのようで、
薄暗い待合室にはあきらめの、
けだるい空気が充満している。
ずいぶんと遅延したが、21時過ぎになんとか、
飛行機は飛びハバナに着いたのは22時。
夜遅かったため、ダニエルもタクシーに乗り、
宿泊先を一緒に探してくれた。
どこのホテルもカサも満室で7、8軒まわって
やっと30ペソの狭いカサの1室が見つかった。
ハバナ旧市街のマレコン通り沿いにある建物の2階。
10年前にハバナを訪れた時は、宿泊先を
その日その日の気まぐれで確保することは
それほど、困難ではなかったが、
今回はだいぶ骨がおれた。
ヨーロッパからの観光客はかつてから
少なくなかったが、
近年はずいぶんと増加したようだ。
1番多いのが、フランス人だそう。
この日は、部屋到着が夜遅くなり、
空港での待ち疲れも手伝ってか、
食事にも行かず寝るだけ。


5日目


 朝5時半くらいに目を覚ます。
もうすぐ夜明け。部屋の目の前はカリブ海。
見下ろした海岸線に沿ったマレコン通りにはまだ、
オレンジ色のぼんやりとした灯りが続いている。
今日も天気はよさそうだ。

       
 モロ要塞が見える      

 朝8時、家人とハバナ旧市街を
散策してみようとカサをでたら、
すぐに1人の自転車タクシーの
運転手が乗らないか?と、
しつこく声をかけてくる。
10ペソ支払えば、
旧市街の名所をまわってくれるそうだ。
うさんくさそうだったが、
自転車のゆっくりした速度で
街を流す車窓(?)も悪くないなと思い、
利用することにした。
朝の活気あるハバナの大通りをゆっくり走り、
果物や野菜の屋台がでている
細い生活感のある路地を通ったりして楽しい。
途中、朝からモヒート(キューバのカクテル)
おごらされたり、
葉巻を買わされたり・・・。
ぼくはタバコをやめてから
もう10年以上たっただろう。
(吸ってた当時の1日の消費量は
セブンスター2箱)
若い頃にさんざん、吸ったので飽きてしまったのだ。
キューバの葉巻ブランド「コイバ」は世界的に有名。
1本1.000円はかるくするもので、10年前、
キューバに来たとき「コイバ」の工場見学をして
その根気と丁寧な作業風景に感動し、
旅の想い出にと吸ってみた。
紙タバコとは全く次元の異なる高貴な香りに
陶然とした記憶がある。
その時点でも、普通の紙タバコにはますます
興味がなくなってしまった。
かつての喫煙者が、禁煙に成功しても
その後、時々
「吸いたい欲求」の頭がもたげてくるとは、
よく聞くがぼくは、まったくといってそれはない。
普段、タバコも葉巻も吸わないが、
葉巻を吸うという行為はぼくにとって
キューバの情景とセットになっているので、
キューバに行った時くらい吸ってもいいや、
と考えている。
葉巻を買わされたとは書いたけれど、
もともと「久々に吸いたい!」と思っていたので、
まあちょうどよかった。
2時間ちょっとの自転車クルーズだったが、
最後に料金を払う段になって、案の定の落ち。
このタクシーの料金は乗る前に、
すべて込みで10ペソと念をおしておいたが
1時間10ペソでしかもそれは1人分の金額、
2人乗せたから60ペソ出せと、言ってきた。
たしかに、日本の金銭感覚からしたら、
2時間人乗せて自転車こいで、1.200円は安すぎる。
申し訳ないとも思う・・・。
しかし、最初と話が違うのは、また別の問題だ。
運転手と大喧嘩して、
30ペソの着地点に落とし込んだ。

       
     自転車タクシーの車窓から  


 この日はとうとう、キューバ宿泊最後の日と
なってしまった。
相変わらず、ホテルの予約はとってはなく、
またiPadでのインターネット接続ができなかったので
飛び込みで探すしかない。
このハバナ旧市街付近では、何度も書いてきたが、
どこのホテル、カサも常に満室状態。
昨夜のカサに連泊をとも思ったが、
それもできないとのこと。
せめての救いは、この日は午後の早い時間から、
宿泊先探しのために動き始められることだ。
昨夜のカサに戻って、お世話になったおばさんに、
挨拶し、タクシーをひろった。
とりあえず旧市街から西へ海岸線を走ってもらい、
とにかく目についたホテルに立ち寄り、
ぼくはひたすら「今夜、泊まれませんか?」と
尋ねまくった。
その中には10年前に泊まったホテルもあり、
懐かしさが込み上げてきたが、
残念ながら、ここも満室。
それでも、旧市街地から離れていくという戦略は
功を奏し7、8軒めでようやく
そこそこいいホテルの1室だけが空いていた。
やっと見つかったホテル。
少々、値段が高くてもいいやと覚悟を決めていたが、
それは手頃なもので、海に面した開放的な
プールもロビーを抜けたところに見える。
これはラッキーだった。
中堅クラスのホテルだが受付のおばちゃんも
とても感じがよく、くつろげそうだ。
チェックインをすませ、部屋に荷物をおいたら、
嬉しくなって海パンにはきかえ
プールまで走って行ってザブン!

       
 海水のプールもある      


 ぼくの旅の喜びの瞬間は、きっちり予定を
決めないことによって、
今まで知らなかった美しい場所に偶然が
重なって自分がそこに立っていたり、
生きてきた環境も言語も異なる人々との心の
ふれあいに感動する時。
もちろん、すべて自己責任。リスクも背負いながら。
日本に住んでいれば、車に乗った時はカーナビ、
初めての場所に徒歩で行くにもこの頃ではスマホが
ナビゲートしてくれる。(ぼくも利用する)
しかし、今回のキューバのような国では、
それらに頼ることができない。
地頭と、根性でいくしかない!
普段、ほとんど外国語を使わないから
机上の勉強だけでは、
ぽんっと、海外に投げ出された時の会話における
瞬発力は情けないほど出せない。
しかし、道に迷ったら、わからないこと、
納得がいかないことがあったら喋るしかないのだ。
喋れなくても、口を開かねば。
話し掛ける相手も自分の直感を信じて、
選んで話し掛ける。
怪しげな相手から声をかけられたら察知して、
軽く聞き流す、相手にしない。

 海外旅行は、緊張を要する場面も多いですが、
他者との関係性の中で自分というものを
再確認する作業でもある。
人は1人で生きていけないことを痛感させられる。
また、日本のように食べ物やモノが
あふれて便利な社会が、
人のコミュニケーション能力の退化に
つながっている気もしてくる。
(助け合う、感謝するという精神が
希薄になるような・・・)
今回の旅でも、いたるところで、
キューバ人の親切に助けられた。
特にダニエルという青年には、飛行機の手配や、
なかなか見つからない宿泊先を探してくれたりと
感謝しても、しきれないほどの
世話をかけてしまった。
(ただ空港で偶然、知り合っただけなのに)
しかも、彼はたくさんの時間をぼくらに
さいてくれたのにも関わらず
余計なお金は最後まで一切、
要求することはなかった。
別れる時、残り僅かな手持ちのペソ札を彼の
ズボンのポケットにねじこむのが
ぼくのできるせいぜいだった・・・。

 本当の優しさとはこのようなものかもしれない。
愛情をかけた相手から、
その見返りが帰ってくるものではない。
(と、思った方が気が楽)
誰かにGiveしたら、それは世の中を
めぐりめぐって他の誰かから
Takeされるようにできているのだろう。
Take&Giveではない、Give&Takeなのだ。
まずGiveしよう。