スペイン 巡礼の道を歩く 2
(ナバレーテ~フロミスタ編)


 2017年秋、行ってきました。
”スペイン巡礼の道を歩く”第2弾!
8日間で200キロ歩いた旅の記録。
これで全長800キロの巡礼の道を半分、
歩いたことになります。
(去年歩いた分との累計)
1年に1回、スペインに降り立ち、
平均してその1回に200キロ歩けば、
4年で達成できる分割巡礼の旅に挑戦中!!


1日目 マドリードへ

 10月24日、成田空港から、
エディハド航空を利用して、
スペインはマドリードへ飛ぶ。
出発は17:50、乗り継ぎ地は、
アラブ首長国連邦のアブダビ。
しばらく、日本食とはお別れなので、
長期旅行(といっても2週間)出発直前のお決まりは、
成田空港内の回転寿司。
やっぱり、今回も立ち寄ってしまった。
成田から、アブダビまでは11時間35分。
2時間の待ち時間の後、アブダビからマドリードまで
8時間25分。ほぼ、丸1日かけての飛行機移動になる。
本は1冊も持っていかず(ガイドブックすら)、
iPadに事前に、たくさん電子書籍をダウンロードしておいた。
しかし、飛行機の中の読書は、
目が疲れやすいので結局、
座席前のモニターで映画を見る時間の方が長かった。
 

2日目 バスを乗り継ぎ、ナバレーテへ

 
マドリード(バラハス空港)に到着したのは、
日付は変わって、現地25日の朝8時。
日本との時差は8時間で、
日本が8時間進んでいることになる。
スペインに朝早く着いたので、
移動のために使える時間に余裕があり、
少し得した気分。
バスを2本乗り継げば、夕方までに、
今日の目的地であるナバレーテに
たどり着けるだろう。
とりあえず、今夜はそこに1泊し、
いよいよ明日が巡礼再開の初日だ!
去年はフランスのサン・ジャン・ピエド・ポルから、
国境を越えスペインのナバレーテまでの
200キロを歩いたので、
今年の巡礼の出発地は、もちろん、
このラ・リオハ州の小さな町、
ナバレーテになったわけだ。
マドリードから各地への交通手段は、
アルサ社のバス。
バラハス空港はバルセロナと並ぶ
スペインの玄関口で、
とても巨大な空港だ。
飛行機到着は第1ターミナルで、
アルサのバスが発着するのは第4ターミナル。

この区間を空港のシャトルバスが、
乗客を運んでくれるのだが、
そのシャトルバスは第2、
第3ターミナルを経由した後、
一旦、空港敷地内から出て、
幹線道路を走ったりするものだから、
間違ったバスに乗ってしまったのではないかと、
不安になる。
乗車時間は15分くらいか。
それくらい、第1ターミナルと
第4ターミナルは離れている。
 シャトルバスは無事、
第4ターミナルにぼくを届けてくれ、
早速、バスカウンターに並びチケットを購入。
出発まで2時間くらいあったので、
メールチェックでもしながら、
ハンバーガーでも頬張ろうかと思い
マクドナルドに入ってみたのだが・・・。
おそらく、ユーロ圏のスマホなら
問題ないと思いますが、
日本から持ってきたぼくのiPhoneでは画面上に
wifiのアイコンが出てきているにもかかわらず、
メールの送受信やインターネット接続は
全くできない。
そういえば、去年も全く同じ状況だった。

10:45発のログローニョ行のバスに乗る。
意外なことに、アルサのバスにはwifiが標準装備で、
通信速度も悪くない。
乗車料金は約24ユーロ。
(レートは1ユーロ130円ちょっとくらい)
近代的な主要空港内より走行中のバスの中の方が、
通信手段が整備されているとは、
さすが不思議な国だ、スペインは。
ナバレーテまでは、まず比較的大きな街である
ログローニョに行き、そこからさらに、
バスを降り替え、出発地・ナバレーテに
アクセスすることになる。


     
1年ぶりのスペイン、バラハス空港   今回もたいへんお世話になりました、アルサのバス 


 10:45発のログローニョ行のバスに乗る。
車窓には青い空が広がり、赤茶けた広大な大地と、
時折、風車が流れてゆく。
ログローニョには、15時に着き、
乗り継ぎバスの時間を尋ねれば15:30。
待ち時間も少なく、なかなか、
うまく目的地に近づいているようだ。
ログローニョからナバレーテまでの
バス料金は1.3ユーロ。
バスは20分ほどで、ようやくナバレーテに到着した。
日本を出発してから、
優に24時間以上たっているだろう。
夕暮れ4時のスペイン。
飛行機の中では、狭い座席で、寝たんだか、
寝てないんだか、自分でもよくわからないし、
食事の時間も不定期だから、
軽い疲労感と時差ボケで、
地に足がついてないよう。
なんだか身体がふわふわした感じ。
さあ、今夜の宿を探そう!

 去年の巡礼の旅の終着地である、
ナバレーテの静かな町の佇まいは、
1年前の様々な出来事を、
まるで昨日のことだったように、思い起こさせる。
そして、同時に明日から、
確保した日数を目いっぱい歩けるかどうか、
不安と期待の感情が、ぼくの胸にじわじわと、
押し寄せてくる。
去年、この町で泊まったアルベルゲ
”El Cantaro”を訪ねてみたが、すでに

ベットは埋まっていた。
アルベルゲとは、巡礼者用の格安宿泊施設で、
巡礼路に公営、民営含め、
多く存在しています。
原則的には1泊のみで連泊はできず、
翌朝の8時か、9時には出ていかなくてはならない。
アルベルゲは毎朝、巡礼者を送りだし、
清掃などして、
再び巡礼者を迎え入れるのは、
だいたい午後の1時とか2時くらいのようだ。
そのため、人気のある小さなアルベルゲだと、
2時や3時には、満室(満ベット?)に
なってしまうことも少なくない。
この民営アルベルゲの若いオーナーは、
日本のアニメ好きで、
背中に彫った、ドラゴンボールの孫悟空の刺青を、
去年、ぼくに自慢げに見せてくれた。
きれいで快適なアルベルゲだったので、
今回の巡礼1泊目は是非、ここにと決めていたが、
ちょっと時間が遅かったようで、残念だ。
歩いて5分もしないところにあった、
別のアルベルゲにあたってみると、幸いまだベットの
空きがあったので迷わずパスポートと
巡礼手帳(クレデンシャル)を見せて、
今夜の寝床を確保。
”Municipal Navarette”というアルベルゲ。7ユーロ。
ちなみにムニシパル(Municipal)と
名のつく宿泊施設は、
たくさんあるが
市営とか、町営とかいった意味で、
民営のものより安い分、やっぱり年季のはいった
建物の場合が多い。
 1階でトレッキングシューズを脱いで
下駄箱に入れると、
2階のアルベルゲの部屋に案内され、
2段ベットの上を借りることにした。
まずは荷物を置き、寝袋を広げておく。
そして、シャワーを浴び、
近くのスーパーへ買い物へ。
この宿のキッチンには、ガスコンロがあったので、
そうなるとちょっと料理して、
暖かいものが食べたくなる。
肉でも、がっつり食べて明日からの英気を養うか。
豚肉の塊、冷凍のムール貝、ズッキーニ、
トマト、ニンニクを購入。
アルベルゲのキッチンにある調味料は
塩と胡椒くらいで寂しいが、
たまにはシンプルな味付けもよいだろう。
豚肉、ズッキーニはは塩・胡椒・ニンニクで焼き、
ムール貝はワイン蒸にして、
トマトのサラダをつくる。
スペインで見かける肉や野菜はどれも、
日本のスーパーのものよりも、
ひとまわりも、ふたまわりも
ボリュームがあり、安くて、おいしい。
さすがに、日本から、
この小さな町までの移動は疲れたが、
やっと足を伸ばして眠ることができる。
赤ワインをアルベルゲの使い古された
粗末なコップに、注いで人心地つく。
20~30人くらい入れる調理器具付き食堂では、
夕食にはまだ早い時間で、人はまばら。
ぼくは、夕食を終え、ベットに横になると、
すぐに眠ってしまったようだ。
たぶん、19:00には泥のように・・・。


3日目 アソフラへ


 いよいよ、巡礼再開の日を迎えた。
朝6時に起きて、寝袋をたたみ、昨日、
買っておいたパンをかじって、
まだ満天の星がまたたく暗闇の7時に、出発だ!

         
暗闇のナバレーテを出発     黄色い矢印を見つけるとホッとする    


 巡礼者の進むべき道を教えてくれるのは、
黄色い矢印だ。
黄色い矢印は、道の分岐点や、
幹線道路を横断する時などに現れる。
立派な看板であったり、道端の石や壁に
無造作にスプレーで書かれていたりもするが、
ゴールを目指す巡礼者にとって
心強い味方であるのは間違いない。
しかし、これが、なかなか見つからなかったり、
見落としたりすると、
もちろん、道を間違えるはめになる。
出発がまだ夜明け前ということで
矢印を見つけにくい状況である上に、
そもそもナバレーテの町には、
その矢印があまりない。
おかげで、案の定、なんかおかしいなあ・・
と感じつつ歩いていると、
ぐるっと町を一周して、
元の場所に戻ってきてしまった。
初日から2、3キロのロスだ・・・。
朝早いので道行く人が、ほとんどいないが、
地元の人がちらっとでも見えたら
”駆け寄って道を尋ね”を数回繰り返し、なんとか、
町を出て、巡礼路の正しいルートに
乗ることができた。
夜は明け始め、遠くまで澄んだ青空が広がりだした。

 全長800キロの巡礼の道には、
ハイライトと呼べるきつい行程がいくつかあるが、
そのひとつに、スタート地点である
サン・ジャン・ピエド・ポルを出発した
初日のピレネー山脈越えで
あることに異論を唱える人はいないだろう。
27キロの険しい山道をほとんど登りっぱなしの上、
給水場がほとんどないという過酷な環境だ。
ぼくも、去年、これを経験し、
まさに巡礼の道の洗礼を、
しょっぱなに、ガツンとうけた感じ。
今回の旅でも、いくつか山を越えることになるが、
あのピレネー山脈を思い出したら、
たいしたことはない。
そんなわけで(?)、今年の巡礼では、
あることを試みることにした。
去年の巡礼の旅では、自然発生的に
形成されていったコミュニティの各国の仲間たちが、
昼間からビールやワインを平気で飲んでいた。

ぼくは、やはりアルコールの摂取は、
一日の仕事を終えた後という固定概念があるし、
なにより、酔っぱらってしまっては、
歩けなくなるのではないかという不安もある。
だから、去年はアルベルゲに着くまではアルコールは
一滴も口にしなかったが、
何事も経験、
今年は軽くたしなんでみようと考えた・・・。

 毎日、20~30キロ歩く。
景色を楽しみ、スペインの深まり行く秋のにおいを
感じながら、
親しくなっていく様々な国の旅人たちと
抜きつ抜かれつ、
ただゆっくりと歩く。
巡礼の道には宿場町が点在し、必ずそこには、バルもある。
(町にはセットとしてバルがあるもので、
バルがなければ町とは呼べない)
10キロも休憩なしで歩けばへとへとだ。
その間、町がひとつもなく、
やっとあらわれた町はまさに、オアシス。
そして、バルの扉を開ければ、いつの間にか
顔見知りばかりとなり、笑顔の挨拶が増えていく。
だいたい、そこでの会話には

ー今日はどこまで行く?
ーわからない(風の吹くまま、気の向くまま)

などが、ふくまれる・・・。

       
スペインのバルは見るのも楽しい     やがて、昼食はこんな風に・・・  


 郷に入れば、郷にしたがえ。
バルで休憩する巡礼者は
けっこうビールを頼んでいる。
ぼくも、

ーウナ セルべッサ ポルファボール
  (ビール1杯、お願いします)

普段、ビールはほとんど飲まないですが、
これがなかなかよかった。
意外と、馬力が増した感じで、
その後の歩きもスムーズだ。
今回の旅では、昼食時には、決まってビールを飲むことにした。
もちろん、飲みすぎはよくないし、
アルコールは脱水症状にも関わるので、
水分補給は忘れずに・・・。



 15:30に今日の目的地、アソフラに到着。
ナバレーテから23キロ地点にあたる。
”Municipal De Albergue”という、
とてもきれいなアルベルゲに
10ユーロで泊まることにした。
中庭には小さなプールがあり、
いろんな国の巡礼者が、
疲れた足をそこにつっこんで、
ぴちゃぴちゃと、クールダウンさせていた。
朝夕は、かなり冷える時期だが、
昼間は半袖で歩けるくらい、ちょうどよい気候。

このアルベルゲにもIHコンロだが、
一応、調理器具がそろっていたので、
また近くのスーパーで豚肉や野菜や
パスタを買ってきて、料理した。
ここは、有名な葡萄の産地である
ラ・リオハ地方。
2、3ユーロの安いワインでもじゅうぶん、
美味しい。



4日目 グラニョンへ
 
 日本を出発してから、4日目。
巡礼の道を歩き始めてから2日目だ。
7:15にアソフラを暗闇の中を出発するが、
日が昇ってくれば今日も快晴。
グラニョンまで行く途中にシルエニャという町を
通過するが、ここまで
やや登り坂が続く。
しかし、それほどきつくはない。
山々は、紅葉に色づき、ぼくの歩く砂利道の
両脇には、休閑期の畑もあれば、
青々とした根菜の葉の生い茂る畑も続く。

 

 
 去年とほぼ同じ距離を歩いた今年の
巡礼の旅だが、去年と比べて
ちょっと残念だったことが2つほど。
まず、昨日、一昨日は調理設備
(巡礼者が自由に料理できるキッチン)の
あるアルベルゲだったが、
この日から最終日まで、すべての
アルベルゲには、それがなかった。
去年も、行き当たりばったりで、
アルベルゲに宿泊していたが、
けっこう調理設備のあるアルベルゲは
多かったように記憶している。
アルベルゲに調理設備付き食堂があると、
巡礼者同士が、調味料を貸しあったり、
料理やワインをシェアしあったりと、
コミュニケーションの場として、
とても大きな役割をはたす。
つまり、歩く地域によって、
アルベルゲの傾向というものが、
あるのではと感じたわけです。
ぼくは、根本的に料理が好きなので、
スペインならではのバカでか肉の塊や、
アホみたいに安い大盛りムール貝や、
日本にはないような新鮮な野菜を
スーパーで見かけたものなら
迷わず買って帰って、自分で料理したくて、
うずうずする。
去年はその、欲求がかなり満たされたのだが、
今年はその機会がめっきり減ってしまった。
 そして、もうひとつは、
今年泊まったアルベルゲには、あまりギターが
置いていなかったこと。
去年は、3軒に1軒は、ギターがあったのに、
今年はギターの置いてあるアルベルゲは
1軒だけだった。
調理設備付き食堂とギターがセットに
なっていれば、ぼくにとっては、
もっとも理想的な空間(アルベルゲ)だが・・・。

 無理をせず、途中のバルで数回、
休憩をとりながら、今日の移動距離は22キロ。
目的地のグラニョンには、15:20到着。
”La Casa De Las Sonrisas”という
アルベルゲにチェックイン。
ここは、ドナティーボ(Donativo)の宿だ。
ドナティーボとは寄附制の意味で、
宿泊費は決まってなく、巡礼者の心づけに
まかせるといったものです。
意外とこのような宿泊施設も少なくなく、
スペインという国は、実に、
旅人に優しいという証左。
そして、ドナティーボにも食事付きだったり、
食事なしだったりと、またシステムは様々。
去年も食事付きのドナティーボの
アルベルゲに泊まったが、
決まった時間に、大きな長テーブルで
全員揃って、食事をとったりするものだから、
旅を始めて間もなく、あまり顔見知りの
いない時期に、このようなアルベルゲに
泊まってしまうと、ぼくのように語学に
才能のない人間には

けっこうストレスです。
そういえば、去年の巡礼の第1泊目も
ドナティーボだった。
ぼくは、あの時の”借りてきた猫化”していた
自分を思い出してしまった。
寝袋をひろげてから、ああそうか、
ドナティーボって去年も泊まったよな、
忘れていた・・。
今夜の宿は、3階建てのつくりで、
1階は食堂兼、サロンで、
2階と3階が巡礼者の寝室だが、
薄暗くて、ベットとベットの距離もずいぶん狭く、
なんかインテリアも独特だ。
アルベルゲ選びに失敗したかなと、
窓が少ないせいか、重い湿気を感じる部屋の
ベットに寝転んで少し後悔・・・。

 夕食のついているアルベルゲだったが、
それが20時と遅く、お腹もすいてきて、さらに後悔。
シャワーを浴びたり、荷物の整理をしたり、
日記を書いたりしても、
夕食の時間まで、どうしたものかと思いあぐねつつ、
1階のサロンに下りてみると、
やわらかな炎の暖炉があり、そのまわりには

いろんな国の人たちが、くつろいでいる。
ぼくも、ぬるいシャワーを浴びたせいで、
暖炉がありがたい。
ぼんやり、暖をとっていると、暖炉の横にギターが
立てかけてあるのを見つけた。
いろいろ、わずらわしさもあるドナティーボの
アルベルゲだが、ギターがあれば、
ちょっと心強い。
結局、ここが今回の旅で唯一、
ギターのあるアルベルゲだった。

     
やがて、ミニコンサートとなり・・・    やっぱりギタリスト同士は話が早い

 フラメンコなど、数曲を演奏した後、
音楽談義やみんなで歌ったりしていたら、
あっという間に食事の時間がやってきた。
そして、みんなで赤ワインで乾杯。
やはり、音楽は人と人をつなぐ、強力な接着剤だ。
ドナティーボ制のため、あまりお金を
かけられないのだろうから、肉料理こそなかったが、
ワイルドなポテト、サラダ、
豆のスープ、パスタ料理は、
どれもおいしくお腹いっぱいになった。
寄付箱には、10ユーロほど入れておいた。

     


5日目 ビジャンビスティアへ

 薄暗い朝の食堂でみんなで朝食。
コーヒー(インスタント)のお湯は、
各自のコップに入れ、電子レンジで温める。
電子レンジはひとつしかないから、
この待ち時間がけっこうかかる。
テーブルの上に無造作に数本の
フランスパンがあるので、これもひとりひとり
好きなだけ切って、ジャムやらマーガリンやら
ハチミツを塗ったくって食べる。
いたって、シンプルな朝食。
今日は8:00とやや遅めの出発。
緩やかな登りを進んでいくと、
1時間半くらいで、ラ・リオハ州から、
カスティージャ・イ・レオン州への
州越えとなった。

 
カスティージャ・イ・レオン州へ 


 曇り空の出発だったが、
今日も青空が広がってきた。
いくつかの小さな町を休憩しながら、
通過し、13:00にべレラドという
比較的、大きな町にたどり着いた。
バルに入って、ビールとタパスを
つまんでいると、通りから、
賑やかなブラスバンドの音楽が
聴こえてきた。
外へ、出てみると人々は歌い、
踊りながら町を練り歩いている。
スペインを旅していると、このような場面に
出くわす機会は本当に多い。
カメラを向けられるのも大好きな国民性か。
音楽を通して生きる喜びを爆発させ、
そのひとりひとりの眩しい笑顔は、
忘れられないほど印象的だった。

 


 実に、バルでの休憩は皆、1日に何度もする。
旅の途中にバルがあるのではなく、
バルのために旅をしているような
気分にもなってくる。
10キロ歩き続けて、見つけたバルで
ビールを流し込む至福といったらない。
昼時であれば、それに、
ボカディージョ(スペイン風サンドイッチ)や、
トルティージャ(スペイン風オムレツ)、
タパス(おつまみ)なども注文する。
これらの料理は、地方やお店ごとに、
多様なバリエーションを見せ、
チェーンレストランのような
画一的な味というものは、皆無だ。
これだけで、バルに立ち寄る意味があるし、
事実、さびれた町のひなびたバルの料理に、
妙に感動したりすることも少なくない。
例えば、どこの町のバルだったか
忘れてしまったが、

トルティージャは普通、ジャガイモの入った
1枚の厚めのオムレツですが、
これがサンドイッチ状になっていて、
中にハムやチーズが挟まれている珍しいタイプの
ものにも出会い、とても美味しかった。
日本に帰ったら、自分でもつくってみようと、
料理のヒントにもなる。
 
 去年の続きである巡礼の道を歩き始めて3日目。
だいぶ顔馴染みの仲間が増えてきた。
別に一緒に歩かなくても、多少の速度の
差があっても、そこは同じ人間の足。
さらにバルでの休憩があれば、
結局はカタツムリが追いつき追い越されの
のんびりした競争を
しているようなものでしかない。
道端やバルやアルベルゲで何度も
顔をあわせているうちに、
自然に名前で呼び合っていたり、
facebookでつながったりもする。
そんな中でも、再開の回数が
尋常でない人もさらに数人できてくる。
今回、もっとも再開の多かったのは
バルセロナからやってきた
73歳の男性ファン・カルロスさんだ。
とにかくバルに入れば、レストランに入れば、
宿泊地の路地を散歩していたら、
教会に入ったら、アルベルゲの横の
ベットを見やったら・・・。
もう、それは会うたびに噴き出してしまうくらい、
何度も何度も出会ってしまう。
彼は、巡礼の道はすでに数回歩いていて、
あそこは見ておくべきだとか、
あそこのレストランが美味しいなど、
たくさん教えてくれて助かった。
アルゼンチン生まれで、30歳の時にスペインの
バルセロナに移り住んだそうで、英語も話せる。
レストランやアルベルゲで、スペイン語、英語、
入り乱れで多くの時間、語らった。

 
 カルロスさんと


 今日は22キロ歩いて、
16時半にビジャンビスティアの
”San Roque”というアルベルゲにチェックイン。
夕食付で15ユーロ。1階はバルになっていて、
その2階が2段ベットのある寝室だ。
こじんまりしたアルベルゲだが、とてもきれい。
夕食まで時間があり、2階には素敵なテラス、
そして天気がよいときている。
ここでワインでも飲んだら
気持ちいいだろうなと考え、階下に降り、
アルベルゲのオーナーのおばさんに、
近くにスーパーはありませんか?と尋ねたら、
ここは小さな町でスーパーがないとのこと。
残念、仕方ない、この薄暗いバルで、
グラスワインでも、なめるか・・・。
と、思っていたら、この店で出しているワインを1本、
ボトルごと5ユーロで譲ってくれた。
おまけに、おつまみのオリーブまでつけてくれて。
最初、ちょっと、こわいおばさんだなと、
感じていたが実はとても優しい人だった。

ラベルも貼っていないハウスワインの
ボトルとワイングラス、そしてオリーブの
小皿をかかえて、
足取り軽く、テラスへの階段を上がっていき、
青空の下のワイン。
贅沢な旅だ。


     
 旅の友は赤ワイン   ファビアンさんのビリンバウ 


 今夜の宿は小さく、宿泊人数も少ない。
夕食を共にしたのは、カルロスさんと、
スペイン人の若者2人(マヌエルとマゴ)、
なぜかスペイン人なのに
ビリンバウ奏者のファビアンさん。
ビリンバウはブラジルの非常に
原始的な弦楽器だが、奏法や起源を
いろいろ教えてもらって
楽しい夜となった。
メニューはチーズたっぷり大盛りパスタ料理と、
鶏肉をトマトソースで煮込んだもの。
ヴォリューム満点で、とても美味しかった。
毎日の思いがけない素敵な出会いが、嬉しい。
明日も歩くぞ!


6日目 アヘスへ

       

 日を追うにしたがって、
朝の気温が冷え込むのを感じる。
アルベルゲで、今日も電子レンジで
温めたお湯でつくる
インスタントコーヒーすらありがたい。
そして、それとパンの簡単な朝食で、
8時前に出発。
今日も天気はいい。
緩やかな登り坂が続く。

 今回の旅から日中にビールで
エネルギー補給(?)というのを始めてみたが、
もう一つ、試してみたことがある。
それは、音楽を聴きながら歩くということ。
そういえば、去年の巡礼の旅では
そんなこと考えず、
ただ、黙々と歩いていた。
遠くまで続く葡萄畑やオリーブの木々、
色づく山々、奇妙な岩々、羊や牛・・・。
変化に富んだスペインの情景を肌で
感じながら、歩いているとそれだけで
幸せな気分になる。
目が見えるということと、
歩けるということだけで、
他には何もいらないくらいだが、
もちろん時には、単調な景色が長時間続いたり、
登り坂がきついこともある。
そんな時、音楽を聴くことに
よる効用はどんなものだろうかと、
クラシックやら、ジャズやら、ロックやら、
いろいろ試してみた。
自宅のメインパソコンであるデスクトップ型の
マックには、長年かけていろんな
ジャンルの音楽がインストールされてきた。
今では、iPhoneやiPadが、このマザーの
パソコンと自動同期することになっているので、
外出先でも膨大な音楽を聴くことができる。

 その土地発祥の食べ物は、
その土地で食べるのが一番美味しい。
(オリオンビールは東京で飲むより、
沖縄で飲むに限るように)

音楽にも同様のことがいえるのではないかと思う。
スペイン音楽は、スペインで聴くのが
最も胸にしみる。
これまでも、何度かレンタカーを借りて、
スペインを走りまわってきたが、
ドライブ中のBGMとしては、ロドリーゴの
ギターコンチェルト「ある貴紳のための幻想曲」が
ダントツ1位だった。
主観に違いないがとにかく、
風景の変化と音楽の進行が見事に、
シンクロするのだ。
今回も、歩きながらiPhoneにイヤホンをつけ、
この曲を聴いてみたが、
やっぱりその印象には揺るぎなかった。
登り坂が続いて疲れてきた時は、
ハードロックなんかもいい。
ロックのリズムが、1歩1歩の足取りを
力強いものにしてくれるから。

     


 今日の移動距離は22キロ。
到着したアヘスはとても小さな町で
アルベルゲは3軒ほど。
町の入り口に人懐こい犬が放し飼いに
されていたので、しばし犬とたわむれ、
”La Taberna De Ages”というレストランに
併設されたアルベルゲに14時過ぎにチェックイン。
だだっ広いベットルームには
無骨なパイプ製の2段ベットが30台ほど
配置されている。
 スペインの巡礼の道を歩く巡礼者は
世界各国から、年齢・宗教を問わず
数多く訪れているが、まず間違いなく現在、
最も多いのは韓国人。
ちなみに、去年、ぼくがスペインを歩いた時は、
2、3人の日本人(すべて女性)に出会いましたが、
今年は1人も見かけなかった。
韓国では今、巡礼ブームのようで、
多くの老若男女がこの道にやってくる。
なので、バルのメニューやアルベルゲの
広告でもハングルを目にする機会が多い。
ここにやってくるには、それぞれの動機や
タイミングはあるのでしょうが、
だいたい次の4つのタイプに分けられそうです。

1.若いうちに世界を旅しようという学生
(10~20代)
2.徴兵を終えてからの猶予期間の人
(20代)
3.仕事をやめて、次の仕事につくまでの猶予期間の人
(30~40代)

4.リタイアした人

仕事を持ちながら、長期休暇で歩いている
韓国女性などとも会いましたが、
だいたいは上記の4つのどれかに
属するかと思います。
とにかく、歩いていても、バルでも、
アルベルゲでも韓国人が視界に
入らないことはないくらい現在、
このスペインに大勢の韓国の人々が
やってきているのです。
この日、ぼくは2段ベットの下に
寝ることにしたのですが、
ベットの上も、両隣も、隣の上も
周囲すべて韓国人に囲まれ、
高速韓国語が飛び交い、今、
自分がスペインにいるのか韓国にいるのか、
どちらか、わからなくなってしまった




7日目 ブルゴスへ

 今日の目的地は大都市であるブルゴスだ。
8時前に出発するが、細かい雨が降っているので、
ポンチョを被る。
去年はセパレートのレインウェアを利用したが、
かさばって意外にバックパックの中を
占領するので、今年はやめ、
たたむと小さくなる1枚もののポンチョを
ネットで購入しておいた。
これは、なかなか優れもので、
バックパックを背負ったまますっぽり頭から
被るものなので、急な雨にも素早く対応できる。
強い横なぐりの雨にはちょっと、
足元が濡れてしまうだろうが、
レインウェアのように体に密着しないぶん、
蒸れることがなく快適だ。
ゆるやかな、下り道が続く日で、
山中、羊たちの群れたちと一緒に歩く。

     

 雨は弱く、午前中だけだったが、
今日は長かった。
のどかな田園風景が続き、ブルゴスに
近づいてくるとほとんど流れのない
アルランソン川に沿ってしばらく歩く。
行程表によればアヘスからブルゴスまでは
24キロだが、これはおそらく
ブルゴスの入り口までの距離だろう。
ブルゴスはとても大きな都市で、
さらにアルベルゲのある中心地まで、
4~5キロ歩かなくてはならない。
天気は回復し、市民が憩う美しく
長大な公園の中を中心地目指して歩いていくが
行けども行けども、アルベルゲには、
たどり着けない。
”到着したー”と思ったらそこは、
まだゴールではなく、それからまた歩く
4~5キロはつらい。
去年、巡礼の出発地である
サン・ジャン・ピエド・ポルの事務所では、
クレデンシャル(巡礼手帳)を購入した際、
一緒に行程表を受け取った。
この行程表には、宿場町やアルベルゲの
値段やベット数などがのっているのだが、
宿場町と宿場町の距離も記されている。
ぼくは、iPhoneに、万歩計のアプリをいれていて、
これでも歩行距離を知ることができる。
おそらく、実際歩いた距離を知るには行程表より、
こちらのアプリの方が正確だろう。
ブルゴスのように大きな町に入ってからの
距離はカウントされていないだろうし、
道に迷って歩いた距離も同様だ。
このような誤差は、ちりもつもればで、
最終的に旅の終わり、
アプリで日々の歩行距離を合算したら
行程表より40キロほど、多いものだった。

 今日は、実質30キロ近くは歩いただろう。
16:30になんとか、大聖堂の目の前に
ある目的のアルベルゲ(ムニシパル)に
チェックイン。
とても大きなアルベルゲで、ベットルームも
各ベットが壁で仕切られ、とても清潔だ。
これで、5ユーロとは格安(素泊まり)。
シャワーを浴び、洗濯もして、
腹ペコでどこで食事をとろうか、
目移りするほどだくさんのバルや
レストランがある夜のブルゴスを物色。
宿場町のレストランには、
巡礼者用メニューなるものがある。
(巡礼者でなくては、いただけない)

10ユーロくらいで、ワイン、前菜、メイン、
デザートなどが一通り、ついてくる。
ぼくは、どちらかといえば決まった
コース料理より、ショーケースに入っていたり、
地元の人がよく食べているような
美味しいものを、いくつか自分で選ぶ方が好きだ。
ブルゴスの名物は子豚のローストらしい。
目についたレストランの外にあった
メニューの看板に、巡礼者用のものがのっていて、
メインには、その子豚があった。
たしか12ユーロくらい。
巡礼者用メニューで名物をいただくのは、
ちょっと安易な気もしたが、
ー今日はずいぶん歩き疲れたし、
まあ、ここでいいか・・・
と思ってそのレストランの扉を開いた。

       
美味・感動の子豚料理    ブルゴスの大聖堂   

 メニューに含まれている飲み物は、
赤ワインを注文したが、フルボトルで出てきた。
(これが日本だったら、グラスに半分も入っていない
グラスワインが運ばれてくるに違いない)
ワイングラスを傾けながら、
子豚の焼きあがるのを待っていると、
また知った顔がレストランに入ってきた。
カルロスさんだ。小さい町なら、いざ知らず、
こんな大都市の中、ふらっと入ったレストランで、
また出会うとは、本当に何かの縁を
感じずにはいられない。
よいメニューをチョイスしたと、褒められた。
そして、子豚のローストといえば、
素晴らしい料理でした。
部位は、ロースかどこか
はっきりわかりませんでしたが、
噛めばやわらかな肉の筋がほどけていくのと
同時に溶けてゆくような不思議な食感。
スペインのセゴビアでも、
子豚の丸焼きが名物で、生後2~3週間くらいで
食してしまうそうだ。
この食感は、小さい子豚でしか
つくり出すことはできないだろう。
生まれたてで、間もなく焼かれてしまうとは少し、
かわいそうな気もするが、美味だからしょうがない。
その他、スペインには”アンギラス”という
ウナギの稚魚をオリーブオイルで煮る料理もある。
スペイン人は美味しいものに貪欲で、
ハモン・セラーノ(生ハム)のように時間をかけ、
じっくり熟成させるものもあれば、
子豚のローストやアンギラスのように、
なるべく若いうちに食っちまえ!
という両気質をあわせ持っているようだ。
ワインは安くておいしく、
料理もバリエーション豊富。
この二点においてだけでも、
ぼくはやっぱりスペインが大好きだ。


8日目 オルニジョス・デ・カミーノへ

 

 7時半にアルベルゲを出発。
秋特有の高く清々しい青空が広がっている。
今日はほぼフラットな道で後半に
少しの登り下りがある。
今年が2回目の巡礼の道を歩く旅は、
去年の終着地であるナバレーテが出発地となった。
季節は同じく、深まりゆく秋だ。
運よく、2年連続で、ほとんど雨にはあたらなかった。
朝晩は、日に日に肌寒くなっていくのを感じるが、
晴れの日の確率も高い、紅葉も美しい、
道端になるイチジクも食べ放題。
果てしなく続く葡萄畑から、
最高に美味しい葡萄をちょこっと失敬し
(ホントはだめだけど、たぶん葡萄農家も
巡礼者には目をつぶる予定調和・・?)
もぎたてのやつを食べながら、
歩くなんてこともできる。
何度も巡礼の道を歩いた人と話すと、
一番巡礼にいい季節はやっぱり、
秋だという人が多いのも頷ける。
 21キロ歩いて、15時半、
オルニジョス・デ・カミーノの
”Meeting Point”という英語名の
小奇麗なアルゲルゲにチェックイン。
素泊まりで8ユーロ、夕食付でたしか13ユーロ。
ここでは、フランス人が多く、
夕食時はワインで乾杯し、
賑やかに、みんなでパエリアをかこんだ。


9日目 カストロへリスへ

     


 今日から11月。
日本を出発して9日目、
歩き始めてからは7日目になる。
人間には、適応能力というものがあって我ながら、
驚いてしまう。
ぼくは、この1週間というもの
重いバックパックを背負って、
くる日もくる日も、ひたすら歩き続けてきた。
見知らぬ外国人たちと部屋を共にし、
足をのばせるようなお風呂にも入れず、
かたいベットの上の寝袋にもぐりこんで寝る毎日。
歩くこと自体は、心の浄化につながっていくが、
身体には確実に疲れがたまっていくと思う。
しかし、不思議なもので
最初の2、3日を過ぎてしまえば、
この日本での日常ではありえないような
状況にも身体が順応しだし、
毎日、20キロ以上の距離を歩くことが、
ごく普通のことのように感じられてくる。
いや、さらに歩き続けているとその先には、
もっともっと歩きたい、歩き足りない、
といった心や身体が発する声が
聞こえてくるようだ・・・。


 巡礼者の悩みはいくつかあるだろう。
例えば、靴擦れなどによる足の痛み。
これは実は一番切実だ。
いかに体調が万全でも、長距離を歩くには、
最初は小さなトラブルであった靴擦れも、
徐々に痛みを増し後々、それが歩行困難をよび、
目的を断念することにもつながりかねない。
これから巡礼にトライしようとする人は、
是非、靴・靴下選びや、
靴擦れ対策をしっかりしてください。
ぼくは去年同様、スポーツ用の
各指セパレートの靴下と
ゴアテックス仕様のしっかりした
トレッキングシューズでのぞんだ。
そして、靴擦れ防止のクリームを毎朝、
足に塗ることを怠らなかったので、
まったく足には問題はなかった。
その他、人によっては食事が口に合わない、
枕が変わると寝れないなどの
悩みもあるでしょうが、
ぼくの場合、もともとスペイン料理が
大好きなので、食事の面での心配はない。
(時々ラーメンや寿司が
無性に食べたくなるが・・・)
スペインでは肉をよく食べるが、魚介も豊富だし、
野菜や果物も安くてたっぷり
摂取できるから、体調もすこぶるよい。

毎日くたくただからよく眠れもする。
とにかく、今年も心身ともに健康に
歩き続けられたことに、感謝しなくてはならない。

 7時半にアルベルゲを出発するが、
文句のないよい天気。
22キロ歩いて、14時半。
カストロへリスの”San Esteban”という
アルベルゲにチェックイン。
ベットを確保し、シャワー、洗濯をすませる。
日が暮れてから、アルベルゲを出て、
夕食を食べるところを探しながら歩いていたら、
泊まるアルベルゲは違ったが、
また通りでカルロスさんとばったり会う。
どうやら、今日もお互い同じ宿場町に
たどり着いたようだ。
おすすめレストランがあるというので、
夕食を一緒にすることにした。
この頃、テレビでは、カタルーニャ地方独立問題の
ニュースが連日、取り上げられていた。
赤ワインをさしつさされつ、カルロスさんとも、
自然とこの話題にふれる。
ヨーロッパは現在、ドイツを除いて、
ほとんどの国が経済的に苦しいようで、
スペインもその筆頭。
カタルーニャは、もともとスペインとは
異なる独自の言語や文化を持っていたが、
スペインに組み込まれ、抑圧されてきた
歴史の背景から独立の気質を強く持っている。
と、同時にスペイン内では
そこそこ強い経済力を持つのもこのカタルーニャだ。
カタルーニャの独立を許せば、
相対的にスペインの他の地域が、
困窮してしまうのは容易に想像できる。
スペインはもちろん、カタルーニャを
独立させるわけにはいかないのだ。

 

 このレストランではカルロスさんに
奨められた若鶏
(と、いうより雛と呼ぶ方が正しい)の
ローストをオーダー。
それにしても、子豚、アンギラスについで、
鶏までも生後間もない小さなやつを
調理してしまうのだ、スペインという国は・・・。
しかし、これまた、脱帽の美味だったので
他国の食文化について、
とやかく言う資格を、ぼくは持ちあわせていない。



10日目 フロミスタへ

 
今日は11月2日。
5日の午前中にマドリードからのフライトで
日本に帰ることになっている。
4日はマドリードに宿泊し、
フライトに備えなくてはならない。
逆算すれば、巡礼の道を歩くのは
今日が最後の日となる。
マドリード行の長距離バスは、
大きな町からしか発着していない。
調べてみたが、やはりこの辺りでは、
それはブルゴスになる。

今日、歩けるところまで歩いて、明日は、
そこから方角的に引き返すことになるが
ローカルバスを拾ってブルゴスへ。
そして、ブルゴスに1泊して、
マドリードに向かうというのが
今回の巡礼を締めくくるプランだ。

     

 8時に出発。
しょっぱなに、急な登り坂ががあり、
すぐに登った分の下り坂が待っている。
その後はほぼ、平坦な道が続く。
天気も良く、身体はすぐに、あたたまる。
巡礼最後の日であり、
またしばらくスペインとはお別れだ。
噛みしめるように、味わうように一歩一歩、
前に進んでゆく。
立ち寄るバルのある町は、小さくのどかだ。
バルは、どこもここ数日で、
抜きつ抜かれつにほぼ同じような
速度で一緒に歩いてきた、
顔馴染みの各国の巡礼者でいっぱいになる。
休憩の時に、バルのテラス、
秋の青空の下で飲む、
スペインビールは格別。
仲良くなったフランスの
ブルジョア風マダム5人組から、
ビールをおごられたり、最後の日を
のんびりしていると、
アルベルゲのチェックインが17時になってしまった。
26キロ歩いて、今夜の宿はフロミスタの
アルベルゲ(ムニシパル)、8ユーロ。
夕食はついていないので、シャワーを浴びてから、
近くにある数件の
レストランをのぞいてみたが、
どうもピンとくる店もない。
アルベルゲの裏に小さな食料品店があったので、
そこで赤ワイン、パン、ハム、チーズ、
缶詰、野菜など買って、
宿で食事をすることにした。
アルベルゲは二階建てで、
一階に暖炉のあるサロンがあるので、
巡礼者はそこで、食事をとることができる。
すると、またここでも、カルロスさんと遭遇。
ベットルームは違ったが同じアルベルゲに
先に到着していたようだ。
ぼくは、決して日中、カルロスさんと一緒に
歩いていたわけではないし、
もちろん毎日、出発時間も、各々の自由。
歩く速度に大差ないといっても、
同じ宿場町に泊まるとも限らないし、
小さな宿場町といってもアルベルゲは
2、3軒あるものだ。
こんなに、連日、出会うとは奇跡に近い。
赤ワインで乾杯し、お互いの食糧をシェアして、
最後の晩餐となった。
白髪のヨーロッパ紳士が、
ナイフでハムやチーズを切り分け、
給仕してくれる姿のさりげなさが、
なんと絵になることか・・・。


11日目 ふたたび、ブルゴスへ

 朝から冷たい雨が降っている。
ぼくは、もう昨日で歩く旅はひとまず終了し、
後はバスを乗り継ぎ、
ブルゴスを経て、マドリードに向かうだけだ。
この続きはまた来年以降になる。
巡礼中は運よくほとんど雨に、
あたらなかったので、
今日のような本格的な雨を見ると、
これからも旅を続ける他の巡礼者に、
申し訳ないような気がした。

昨夜のうちに、バスの出発時間は調べておいた。
停留所は、宿泊したアルベルゲのすぐ近くにあり、
まだ夜の明けない7時半に
ブルゴス行のバスに乗り込む。
他に乗客はいなかったが、途中数か所、
バスは小さな町に立ち寄り、
1、2人と人を拾っていった。
やがて、夜の闇は消え去ったが、空は灰色。
雨の田園風景を眺めながらのバス旅も悪くない。

         
 よく見かけるウサギさん    スペインの市場は美しい   生ハム売り場も圧巻 

 1時間半ほどで、ブルゴスに到着すると、
すでに雨は止んでいた。
バルで一休みして、ブルゴスの町を散策する。
スペインの市場は飽きることがない。
八百屋、魚屋、肉屋・・・、どこも多様な品揃えで
1つ1つが巨大、そしてカラフルに目を奪われる。
初めて、スペインを訪れた時、
肉屋で見かけた毛をむしられた
ネズミのようなものに、

ーん、???

と、思ったことがあった。

裸のネズミより少し大きめのその動物は、
特徴である耳が切り落とされているので、

一見すると、なんだかよくわからなかったが、
ウサギでした。
ウサギの肉はパエリアにも使われるので、
スペインではポピュラーな食材。
肉屋には必ずといっていいほど、
うらめしそうな眼差しで並べられたり、
つるされている。
生前の可愛らしさを、想像していまうと、
口に運ぶことに一瞬、躊躇してしまうが、
やはり美味しい。
普段、ピョンピョン跳ねているから、
肉質はしなやかかつ、適度な弾力を持つ。
くせはなく、その歯ごたえが心地いい。
罪悪感も美味の前では薄れてしまう・・・。

 ブルゴスは、レコンキスタの英雄、
エルシドの生まれた町だ。
レコンキスタは国土回復運動などと
訳される。
スペインはローマ帝国の
領土だった時代からキリスト教の国でしたが、
710年からイスラム国家の侵攻を受け、
後ウマイヤ朝(756年~1031年)の
イベリア半島支配によって
イスラム教中心の国となった。
これを再び、スペインをキリスト教に
戻そうというのがレコンキスタであり、
なんと718年から1492年の
グラナダ陥落までという長期間、
このせめぎ合いが続いたのだ。

 
エルシド像 

 繁華街のバルで、iPadを使って
すぐ近くのホテルを検索・予約し、
16時半に”Hotel Nortey Londres”にチェックイン。
アルベルゲではない普通のホテルに、
久々の宿泊。
大きな部屋で多人数の人々と
一緒に眠ることが続いていたので、
やはり、プライベートな空間はホッとする。


12日目 マドリードへ

 昨日も、利用したバスターミナルに行き、
マドリード行のチケットを18.65ユーロで購入。
出発は11:45だ。

ブルゴスとマドリード間は約2時間半ほど。
途中、マドリードの50キロ付近辺りで、
事故渋滞があり、終着地の
Madrid Interc. Av America(マドリード市内)に
予定時間より少し遅れての到着。
そして、ターミナル近くのバルで休憩しながら、
今日もiPadでホテルを検索・予約。
なかなか、ロケーションがよく、
手頃なホテルが見つからなかったが、
地下鉄に乗ってクアトロカミーノス駅に行き、
”Hostal Los Angeles”に17時にチェックイン。
せっかくのスペイン最後の夜、
そしてここはマドリードだ!
ホテルでおとなしくしているわけには、いかない。
歩く旅のため、荷物は極力減らしているので、
本は1冊も持ってこなかったが、
iPadに事前にインストールしておいた
電子書籍の中には、
スペインのガイドブックもある。
ベットに寝そべってガイドブックを
ぱらぱらやっていたら、
ソフィア王妃芸術センター(美術館)が
19:00から入館無料とあるではないか。
ここも、以前一度、行っているが、
あの有名なピカソの”ゲルニカ”を見て、
いたく感動した記憶がある。
もう10年以上前のことだ。
スペインを訪れたなら、
何度でも行きたくなってしまう場所がたくさんある。
バルセロナのサグラダファミリア、
かつて首都だったトレド、
アンダルシアの青い地中海と白い家々・・・etc。

ここは、ピカソの生まれた国でもあるから、
ピカソ作品のある美術館にも、
何度も足を運びたくなる。
あのゲルニカに再会できると思うと
ドキドキしてきた。
ふたたび、地下鉄に乗って、
ソフィア王妃美術センターのある
アトーチャ駅に着いたのが、18時過ぎ。
駅周辺を、ぶらぶらして
18時半くらいにソフィアに来てみると、
すでに19時からの無料入館目当ての
人たちが並び始めていた。
比較的、先頭付近に並んだが、
19時に近づいてくると、ぼくの後方の長蛇は
さらにその長さを伸ばして、
かるく200人は越えていただろう。


     
 19時から無料と聞いて・・・   巨大メトロノームと。ダリの作品か? 

 マドリードの美術館といえば、
もうひとつ有名なのがプラド美術館。
プラドに比べて、ソフィアは近代の前衛的作品の
傾向が強く、ダリやミロなどの
へんてこなアートでも楽しめる。
ゲルニカ体験は二度目だが、やはり圧倒的。
ゲルニカとはスペイン北部バスク地方にある町です。
この町がスペイン内戦時(1936年~1939年)、
ドイツ軍の無差別爆撃(1937年4月26日)を
受けました。
ピカソのゲルニカは、この無差別爆撃を
モチーフとして描かれたのです。

なぜ、ドイツ軍がスペインの内戦で、
スペインの町を爆撃したのか?
当時のヨーロッパには社会主義と、
ファシズム(結束主義)の争いがあった。
ファシズムは、軍事独裁の側面ももっており、
その先頭にイタリアのムッソリーニが立ち、
それにドイツのヒトラーも続く。
スペイン内戦は社会主義の
アサーニャ人民戦線内閣と
ファシズムであるフランコの反乱軍の
戦いといえる。
つまり、同じファシズムの思想をもった
フランコをヒトラーがバックアップし、
スペインにドイツ軍を侵攻させたわけです。
イギリスやフランスなどは、
スペイン内戦には不干渉政策をとり、
ファシズムの反社会主義に期待し、
傍観していたともいえる。
結局、この戦いはフランコの勝利となり、
1975年のフランコの死去まで、
30年以上、その独裁体制が続いた。
フランコ没後は、ブルボン王朝が復活し、
現在の民主化へとつながっていく。

 ピカソのゲルニカには戦争の
凄惨さが描かれている。
実際にゲルニカを目の当たりにすると
まずその大きさに驚く。
と、同時にその巨大なキャンバスからは、
ピカソの戦争への怒りや、深い悲しみが、
強く伝わってきます。
分割巡礼の旅・第2弾も、
今夜のマドリードの夜を最後に締めくくられた。
後は明日の10時、日本への飛行機に乗るだけ。


まとめ

 全長約800キロのスペイン・巡礼の道。
これまで、スペインを何度も列車や、
レンタカーで旅し、
いつかは歩いて旅してみたいと思い始めたのは、
イベリア半島北部を東から西へ
レンタカーで走っていた10年くらい前・・・。
大きなバックパックを背負って、
サンティアゴ・デ・コンポステーラを
目指して黙々と歩く巡礼者たちをぼくは
レンタカーですいすいと追い越していた。
バックミラーの中の彼らはあっという間に
小さくなってしまう。
移動スピードの次元が違うのだ。
確かに、車や列車は天候に
それほど影響を受けず、快適に人を
目的地に運んでくれる。

しかし、スピードの速さ故、
見えるもの、見るべきものを、
見ることなく通り過ぎてしまうことも多いだろう。
おそらく、車で走っているぼくと、
自らの足のみを頼りに歩いている彼らとは、
同じ景色の中に身をおきながらも、
異なる世界が見えているに違いない。
1度に歩き切るには平均40日くらいは
要するという巡礼路。
一昨年の秋、それほどの日程は
確保できないものの、
いよいよ巡礼してみたい強い衝動を抑えきれず、
スペインへ飛んだ。

2週間(日本・スペイン往復時間含む)
という期間で。
どれくらい歩けるか、わからなかったが、
結果は200キロ。
1度目の巡礼を終え、プランが見えてきた。
1回に200キロ歩けるなら、
それを分割ではあるが、4回続ければ、
ゴールであるサンティアゴ・デ・コンポステーラに
たどり着ける。
今回の2回目巡礼でもほぼ、
読み通り200キロ歩き、
これで、全長の半分を踏破したことになる。
さて、ぼくはこの旅を完遂できるのだろうか・・・。