スペイン 巡礼の道を歩く 3
(フロミスタ~ラバナル・デル・カミーノ編)




 2018年秋、”スペイン巡礼の道を歩く”第3弾!
8日間で200キロ歩いた旅の記録。
これで、累計600キロを歩き、
いよいよ次回、分割巡礼の旅は
目的地「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に、
たどりつけるのか!?


1日目 マドリードへ(機中)


 10月24日、ぼくが搭乗する中華航空機は
19:50に羽田を離陸した。
その後、北京で乗り換え、スペインへ。
ちなみに北京空港で見かけた
マドリードの中国語綴りは”馬徳里”。
なんだか、間抜けた感じで微笑ましい。
 20年近く前から、何度もスペインを、
レンタカーや列車で旅していた。
そのうち、イベリア半島北部で
ハンドルを握っている時に、
しばしば見かけた大きなバックパックを
背負って歩く人々。
ぼくは彼らを、アクセルひとつ、
一瞬で追い越してしまう。
彼らは、いったい何をしているんだろう・・・?
それは、やがて疑問から、憧れに変わっていた。
人々は巡礼者と呼ばれ、
そこは800キロに及ぶ、スペイン巡礼の道。
いつか、ぼくもあの道を
自分の足で歩くんだろうなあ、
と漠然と思うようになっていた。
 そして、それを実行に移した2年前。
14日間、仕事を休んで
日本からスペインの飛行機や、
巡礼の道の発着地への
アクセス時間を差し引き、
歩けた距離はおよそ200キロ。
とりあえず、自分はこの日数で
どれだけ歩けるだろうと
軽い気持ちで歩きだした1年目だったが、
このペースでいけば、
4年かけて全800キロを踏破できる。
 当初、4年連続で、歩こうなんて正直、
考えていなかった。
しかし、気づいてみれば、
巡礼の旅は3年連続。
やっぱり、やり遂げるしかないという
闘志がふつふつと湧いてきた。
1年目、2年目は、まだゴールが遠かったので
スケジューリングは甘かったと思う。
しかし、さすがに今回は来年で目的地である
サンティアゴ・デ・コンポステーラに、
本当に辿り着けるかが気になりだした。
来年は無理なく確実にゴールしたいので、
できれば、今年は少しでも距離を
稼いでおきたいという欲もでてきた。
ぼくは、中国、ロシア、ヨーロッパへと
大陸を横断する飛行機の
せまいシートの中で
スペインの地図を何度も開き、
旅の行程をイメージしていた。




2日目 マドリードからフロミスタへ


 マドリードに到着したのは25日の朝7時過ぎ。
日本との時差はマイナス8時間。
飛行機には15時間くらい乗っていたことになる。
今年の出発地は去年の終着地であるフロミスタ。
フロミスタは小さな町なので、
マドリードからのダイレクトな電車やバスはない。
まずは、目的地近郊の
大きな都市(ブルゴス)までバスで行き、
そこでさらにローカルなバスに
乗り換える必要がある。
地図は、巡礼の道のあるイベリア半島上部。
マドリードは地図のさらに下で、
半島のほぼ中央部にあります。
巡礼の道は、国境沿いのフランスの
サン・ジャン・ピエド・ポルから始まり、
ピレネー山脈を越えてすぐスペインに入り、
ナバラ州、リオハ州、
カスティーリャ・イ・レオン州、
ガリシア州を横断して、
ゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの
800キロ。
今年は、州をまたぐことなく、
広大なカスティーリャ・イ・レオン州の
果てしない直線道を、歩き続ける旅だった。

 ここ数年、スペインの玄関として
利用しているマドリードのバラハス空港は広い。
ブルゴス行のバスにのるために、
到着した第1ターミナルから
第4ターミナルへシャトルバスで
移動しなくてはならない。
第4ターミナルに着き、
アルサ社のバス窓口へ行くとまだ
営業時間ではなく、
発着時間を示す電子掲示板にも
何も出ていなかった。
バラハス空港のwifiは、あまり強くないが、
なんとかiPhoneでインターネット接続し、
ブルゴス行のバスの時刻を調べたら、
10:45発というのがあった。
2時間ちょっと待つが、まあ、悪くない乗り換えだ。
ブルゴスには13時過ぎに、たどり着けるだろう。
ターミナルのカフェで、生ハムと
チーズのボカディージョ
(スペイン風サンドイッチ)、
セルベッサ(ビール)を注文。
スペインに来ると、この組み合わせは定番だ。
赤身の肉に寄り添う、ぬらっとした
生ハムの深い白色の脂身は、
口の中でゆっくりと、とろける。
このボカディージョを頬張っていると、
スペインにきたんだなあ・・・、としみじみ思う。
空港に降り立った時は、まだ薄暗かったが、
気がつけばそこには
雲一つない、秋のスペインの
高い青空が広がっていた。

     
 毎年、お世話になるアルサのバス   ブルゴス大聖堂 


 マドリードからブルゴスへは、
2時間半で、19ユーロ。
この旅の時期のレートは
1ユーロ133円くらいだから、
だいたい2.500円ですね。
ブルゴスには、順調に13時過ぎに到着。
アルサ社のように大都市同士を
つなぐバス会社の発着時間を
調べるのは簡単だ。
アルサ社も専用アプリがあるから、
wifiさえ繋がれば、iPhoneで問題ない。
しかし、小さな町や村をつなぐ
ローカルバスはそうはいかない。
ぼくが、これから乗るブルゴスから、
小さな田舎町であるフロミスタへの
バスの時刻表に
インターネットで、たどり着くなんて、
たぶん不可能だろう。
とにかく、ローカルバスは、
その乗場に行ってみなくては、わからないのだ。

 ブルゴスのバスターミナルには、
何社かバス会社が発着していた。
アルサの窓口で、
フロミスタに行くバスを尋ねたら、
アマージャというバス会社だった。
アマージャの窓口は閉まっていた。
それもそのはず、
そこにあった時刻表を見てみれば、
フロミスタへは1日1本。
17:30というやつのみ。
他の場所への便もないらしく、結局、
17時過ぎまで窓口は閉まったままだった。
どんだけ、ローカルなんだ・・・・(笑)。
せっかく、朝早くにマドリードに着いて、
ブルゴスへの接続も無駄はなかった。
この日は、ブルゴスに1泊して、
翌朝、フロミスタに行って
すぐに歩き始めるという一考もあったが。
明日から巡礼の道を再会するには、
今日のこの17:30に乗るしかない。
4時間近く、待つはめになったが、
ここは頭を切替えて、
バルに寄って腹ごしらえ、そして、
ブルゴス観光でもしよう。

 バスのチケットを7.45ユーロで買って、
フロミスタ行きのバスに乗り込む。
バスは、定刻通りブルゴスを後にした。
太陽の位置はまだ高い。
真っすぐの道にはほとんど対向車がなく、
近代の風車が遠くに連なる。
ドン・キホーテが立ち向かった、
昔ながらの風車は見えない。
やがて、黄金色の牧草地と、
乳白色の大地が広がり、
19時過ぎに、去年の旅の
終着地・フロミスタに着いた。
去年はここで、巡礼最後の夜を過ごし、
その翌朝早くマドリード行きの
バスに乗ったのだ。
ここが今年の巡礼のスタートポイント!
去年、お世話になった
公営のアルベルゲに直行すると、
ベットは空いていた。
パスポートを見せ、
クレデンシャル(巡礼手帳)に
スタンプを押してもらい、
8ユーロを支払う。
クレデンシャルには、基本
宿泊したアルベルゲでスタンプが
押されることになっています。
しかし、スタンプはアルベルゲ以外に
巡礼の途中の教会やバルにもあり、
立ち寄って印象深い場所であったなら、
頼んで押してもらうことができる。
それらは、すべて地域性の
あるオリジナルデザインなので、
クレデンシャルを開けば、それまでの旅を
追想することができる。
ぼくの1冊目のクレデンシャルには、
スタンプを押すスペースがもう、
なくなりつつあった。
アルベルゲの管理人のおばさんに、
そのことを伝えると、
新しいクレデンシャルを3ユーロで譲ってくれた。
 自分の部屋へ案内してもらい、
ベットを確保。
そして、まずはベットに寝袋を置き、
シャワーを浴びる。
これが、どのアルベルゲに行っても、
お決まりのルーティーンとなる。
フロミスタは、去年と何も変わらず、
時が止まってしまったような小さな町。
レストランも、ほとんどないので、
アルベルゲの裏にある
小さなコンビニのようなお店で、
ムール貝、たこ、アスパラの缶詰、
リオハの赤ワインを買った。
そして、それらをアルベルゲの
暖炉のあるサロンで夕食とする。
あまり、他の巡礼者は泊まっておらず、
夕食中はスペイン人の
熟年カップルが、1組、ソファで
くつろいでいるだけだった。
日本では、ほとんどスペイン語を
話す機会がないけれど
せっかくスペインに来たのだ、
積極的に使っていこう。

 
 新しいクレデンシャル




3日目 カリオン・デ・ロス・コンデスへ
 
 この旅に出ると、だいたい
日本にいる時より早い時間に寝ることになる。
1年ぶりのアルベルゲでの初日、
朝3時くらいに目がさえてしまったが、
さすがに出発するには早すぎる・・・。
6時過ぎまで、寝袋の中で2段ベットの
天井をぼんやり眺めて過ごす。
いよいよ、今日から本当の意味での
分割巡礼再開だ。
まだ夜の明けない7時に、フロミスタを出発。
1時間ほど歩いて、青空が見えてきたころ
ポブラシオン・デ・カンポスという町に
辿り着いたので、
バルに立ち寄り、目玉焼き、生ハム、パン
そしてカフェ・コン・レーチェの朝食をとる。
カフェ・コン・レーチェは濃いめの
コーヒーに熱々のミルクを
たっぷり注ぐもので、スペイン人は
これが大好き。
ぼくもスペインに来ると、
朝は必ずこれを飲むようになった。
 スペインの町はどこも、猫がたくさんいる。
猫たちは、とても人懐こく、
時には親切ですらある。
朝食をすませ、バルを出ると、
巡礼の道の案内するように、1匹の猫が、
町中から町を出てからも、しばらく、
ぼくと一緒に歩いてくれた。
なんと、道が分岐するところは、
きちんと迷わず正しい方を
先導してくれるからすごい。
このような旅は、
多くの人に助けられる場面も多いが、
猫にも感謝!

 
 

 11:30、ビリャルカサール・デ・シルガという町で
バルに立ち寄り昼食。
豚のグリル、サラダ、フライドポテトの
セットメニューとビールを頼む。
昼食後、歩きだし
カリオン・デ・ロス・コンデスという町に到着。
ここまで朝から20キロ歩いたことになる。
行程表によれば、この先は
17キロもアルベルゲがない。
もう少し、歩けると思ったが初日だし、
無理をせずこの町に泊まることにした。
モナステリオ・サンタ・クララという
アルベルゲに7ユーロで
午後2時過ぎ、チェックイン。
古いレンガつくりの建物で、
石畳の広い中庭があった。
案内された部屋は
小さく2段ベットではない普通のベットが、
4つあるだけで、ぼくの他にはフランス人男性が
一人いたのみ。
他にもあまり、宿泊者はいないようだ。
曇り空で、少し肌寒かったが、
シャワーを浴びてから
中庭でギターをポロポロやる。
中庭だから、もちろん屋根はないが、
壁に反響して音が増幅するので、
弾いていてなかなか気持ちはいい。
誰も聴いていなくてもいい。
自分のために、
ルネサンス音楽やバッハを静かに弾く。
ほとんど、人はいなかったが、
やはり通りがかりの人がしばらく足をとめ、
「その楽器はおもしろい形をしてるけど、
なんて楽器?」とか、
「今の曲は何?」
とか、話しかけてくる。
旅での、こんな音楽談義は楽しい。


4日目 レディゴスへ


 「スペイン巡礼の道」を歩く旅も今年で3回目。
それ以前からも、
すでにスペインには軽く10回以上は来ているだろう。
そんな慣れからか、
今回はちょっと大事なものを
持っていくのを忘れてしまった。
iPhoneやiPadを充電するときの、
コンセントの変換プラグ。
iPhoneやiPadは世界のスタンダードなので、
電圧の異なる国での
充電でも他の電化製品のように変圧器は
必要ありません。
でも、コンセントの形状は国によって異なるので、
変換プラグだけは持っていかなくてはならない。
「スペインには何度も行ってるし、
変圧器なんか、いらないもんね・・・」
なんて思い込みが、変換プラグの存在をも
忘れさせたようだ。
立ち寄るのは小さい町ばかりだから、
この変換プラグを売っているような
電気屋さんがそもそも、なかったりする。
仕方がないので、
今回訪れた1番の大きな都市レオンで
これを購入するまで、
バルやアルベルゲでプラグを借り、
iPhoneやiPadを充電させてもらっていた。
これから、スペインに行く方は、
変換プラグをお忘れなく。

 
スペインの Cタイプ変換プラグ


 7時に起きて、8時にアルベルゲを後にする。
この日はちょっと、つらかった。
天気が悪いとか、登坂がきついとかではない。
平坦な道だが、
とにかく休憩するところが、出発してから
17キロというもの、まったく存在しないのだ。
町やバルは、もちろんのこと、
果てしない直線の砂利道の脇に
ひとつのベンチだってない。
今までも、休憩場所がなかなか現れない区間を、
何度も歩いてきたが、
それでもだいたい10キロくらい歩けば、
なにかしらあるものだ。
17キロ、時間にして3時間半くらい、
重たいバックパックを背負って
歩き続けるのは、さすが疲れた。
やっと、バルに辿り着いたのは、昼の12時過ぎ。
カルサディラ・デ・ラ・クエサという町で
トルティージャ、ソーセージ、
ラザニアの昼食をとる。

 
 

 朝から23キロ歩いて、レディゴスに15:30到着。
ラ・モレーナというアルベルゲにチェックイン。
案内された2階の部屋は大きく、
2段ベットが20台くらいあり、
そこそこ、巡礼者でベットは埋まっていた。
ベットに寝袋を置き、シャワーを浴びる。
巡礼の旅に出るとほぼ毎日、
赤ワインを飲む(日本にいてもそうか)。
小さい町ばかり宿泊するので、
その町にスーパーやコンビニがないのには
それほど驚かなくなっていた。
ここもそんな町で商店とよべるものはない。
幸い、アルベルゲにはバルが併設されていたので、
ワインにありつけないということはない。
しかし、バルでグラスワインを、
2、3杯頼むなら、やはりスーパーやコンビニで
ワインをボトルごと買ってきた方が、経済的。
そんな時、こんな裏技がある。
アルベルゲのオーナーに申し訳なさそうに
「すいません、ワインをボトルで
売ってくれませんか・・・?」と尋ねてみるのだ。
そうすると、たいてい快く、格安(4、5ユーロ)の
美味しいハウスワインのボトルを
店の奥の方から持ってきてくれる。

うまくいけば、おつまみに、
タダのオリーブまでついてくる。
ここのアルベルゲでも、
5ユーロでゲットすることができた。
今日も赤ワインを、サロンでちびちびやりながら、
ギターをポロポロ弾く。
誰のために弾くというわけではないが、
ぱらぱら人が集まってきて、
拍手してくれたり、あたたかい声をかけてくれる。

 
 

5日目 ベルシアノス・デル・カミーノへ

 去年の巡礼の旅、そして今年の巡礼の旅、
偶然にも出発日が同じ10月24日だった。
一昨年の第1回目の旅はこれより、
少し遅く10月27日だったが、
今年が一番、寒かった。
それでも、雨に降られた(雪まじり)のは
1日くらいで、
今年も天候には恵まれた旅だったと思う。
 スペイン上部を東から西への旅、
緯度はほとんど変わらないのに、
農作物は大いに異なる。
1年目、2年目で見かけた広大な葡萄畑は今回、
皆無だったのがとても残念。
オリーブ畑もあまり見かけなくなっていた。
かわりに、収穫後、
または収穫されず放置されている
ひまわりや、トウモロコシたちの畑が広がっていた。

 
 太陽に顔を向けられなくなったひまわりたち


 1年目のリオハ地方
(スペイン有数の葡萄産地)、
歩きながらつまみ食いした
テンプラニーリョの葡萄の
美味しさは今でも、忘れられない。
こんな素晴らしい原料からつくられたワインに
間違いはない。
もともと、スペイン語圏でつくられたワインが
大好きでしたが、
リオハを自分の足で歩き、
そして彼の地で飲んだワインの体験は、
強烈にぼくの心に刻みつけられた。
地元の小さな商店で買った、
2、3ユーロのリオハワインでも妙に感動できる。
この旅は、悲しいかな、
ゴールに近づくにしたがって、
リオハから離れていく。
そうすると、リオハで2、3ユーロで
買えていたリオハ産ワインが、
今回歩いた地方では
9、10ユーロぐらいになってしまう。
そうか・・・、いくら同じ国内といえ、
輸送コストが値段に反映されてくるのね。
日本でも、リオハのワインは購入できます。
ぼくは、どこにいてもそのリオハワインを一口含み、
目を閉じれば、
ばーっとあの果てしないスペインの葡萄畑に
瞬間移動できる自信がある。


 7時過ぎに、出発し1時間ほど歩いた町、
モラティノスのバルで朝食。
目玉焼き、豚肉、ポテトのセットメニューを6ユーロ、
それとカフェ・コン・レーチェ。
雲はあるが、おおむね青空のよい天気。
持ってくるのを忘れてしまったiPhone、
iPadの充電のための変換プラグ。
いちいち、バルやアルベルゲで
変換プラグを借りて充電するのは
煩わしいものだ。
お客さんがたくさんいて、
忙しそうな時に声をかけるのも気がひける。
今日は順調に歩ければ、
昼頃にサアグンという街に到着する。
列車の駅もあるから、比較的、
ここらへんでは大きな街に違いない。
電気屋さんもあるだろうから、
やっと変換プラグを購入できる。
そしてやっと、見つけたサアグンの電気屋さん!
ところが、お店は閉まっていた。
今日は日曜日・・・。
日曜に、商店がお休みするのは、
スペインでは珍しくないのだった。
また、しばらく変換プラグはお預け。
サアグンのバルで数種のタパスを
肴にセルベッサ(ビール)を飲む。

さあ、めげずに午後も歩こう。
27キロ歩いて
ベルシアノス・デル・カミーノに着いた。
ベルシアノスというレストランの併設されたきれいな
私営アルベルゲに15:30チェックイン。
15ユーロとちょっと高め。
歩き始めて、3日目にもなってくると、
途中のバルで何度も顔をあわせたり、
前のアルベルゲで一緒だったりと、
顔馴染みも増えてきた。
シャワーを浴び、レストランで
赤ワインをちびちびやりながら、
明日からの行程のチェックなどしていたら、
ギター演奏のお呼びがかかった。
夕食後にミニコンサートをする約束をした。
ソロを数曲、そしてみんなで、
レナード・コーエンの「ハレルヤ」を合唱。
大いに盛り上がって、ワインをたくさんおごられた。

     
     


6日目 レリエゴスへ


 かたいアルベルゲもあれば、
やわらかいアルベルゲもある。
かたいアルベルゲとは、
だいたい公営の古くからあるもので、
就寝時間と起床時間が、厳格に守られている。
巡礼者同士の楽しい語らいも
夜10時ともなれば、管理人は事務的に
みんなを寝室に促すし、
朝は自動的に電灯がつき、
さあ、起きろ、と声をかけてくる。
昨夜、泊まったアルベルゲは私営。
かたいアルベルゲの対極にあった・・・。
夜は賑やかで、楽しい宴会となり、
申し分なかった。
問題は朝だ。

このアルベルゲはレストランと
宿泊する棟がつながっていて、
外に出るときは、必ずレストランの中を
通過しなくてはならない。
多くの巡礼者は7時から
8時くらいの間に出発する。
ぼくも、荷物を整理していざ、出発と思ったら、
レストランの扉に鍵がかかっていて、
出られない。
レストランの上に住んでいる
若い女性管理人の部屋をいくら
ノックしても応答はない。
巡礼者10数人が、出発時間になっても、
アルベルゲに閉じ込められたままと
なってしまった。
そのうち、管理人がくるまでは
待っていられないと、
アルベルゲの1階の高い窓から、
飛び降りて出発する人たちもでてきた。
ぼくも、そうしようかと思ったが、
運悪く昨夜から、変換プラグを
借りてレストラン内で、
iPhoneを充電したままだった。
とにかく、レストランが開かなければ、
出発することができない・・・。

 ことの顛末は、あっけなく、そしてアホらしい。
なんのことはない、
そのでっぷりと太った女性管理人は
ただ爆睡していただけで、
あれだけ巡礼者にチャイムをならされ、
ドアを激しく、
しつこくノックされてもいたにも関わらず、

ただただ目覚めず、寝続けていただけ。
彼女が、悪びれることなく、
のっそり起きてきたのは9時半をまわっていた・・・。
ぼくが、iPhoneを回収しやっと、
出発できたのは結局、10時ちかく。
今年は、来年のゴールにむけて、
少しでも距離をかせいでおきたいのに、
こんな想定外もある。
イライラもしたが、ここはスペインだ。
諦観と愛おしさが、ないまぜになった心境。
やわらかいアルベルゲとはここのように
いろんな意味でルーズな
アルベルゲのことをいう。
まあ、小さなトラブルもいずれ
旅のよい想い出となるだろう・・・。


 雲はあるが、よい天気。
8キロ歩いて、
エル・ブルゴ・ラネロという町で昼食。
昨夜のアルベルゲのおかげで
出発が遅くなってしまったので、
バルでの休憩を短めにする。
車道と並行に伸びる砂利の巡礼の道には、
道しるべのように、プラタナスの木が続く。
今日は21キロ歩いて、
なんとか目的地のレリエゴスに17時に到着。
とても小さく、静かな町だ。
数件あるアルベルゲも、
いくつかは閉まっていた。
冬の間は閉鎖されるアルベルゲも少なくなく、
それらは10月末まで営業することが多い。
ムニシパル(公営)のアルベルゲにチェックイン。
夕食はアルベルゲの1階の
小さなレストランで10ユーロの
巡礼者メニューを頼む。

     
 プラタナスに導かれ    バルの昼下がり


7日目 レオンへ

 フランスのサン・ジャン・ピエド・ポルを
出発地とする巡礼者は
この街の巡礼事務所で
クレデンシャル(巡礼手帳)を購入し、
スタッフから、巡礼の行程や
注意点などを説明してもらう。
その時に各宿場町の
アルベルゲの一覧表、
ゴールまでの距離・高低差の
書かれた一覧表を、それぞれ受け取る。
この2つは、旅にとってとても大切。
行った先の町のアルベルゲを
事前に調べておく必要があるし、
登り坂があったなら、
負荷が高くなるわけだから、
単純な距離計算で歩くわけにもいかない。
どちらの一覧表も何度も何度も、
開いたり、たたんでいるうちにだいぶ
くたびれてきた。
そんな時、今回の旅のはじめに、
ブルゴスの土産屋で見つけ、
購入したミシュラン社の巡礼者用地図。
これは、1日の旅程の目安や、
高低図の他に俯瞰図ものっているので、
わかりやすい。
(巡礼事務所でもらうものは、
カラーではなく俯瞰図ものっていない)
ミシュランは車用の
地図ばかりかと思っていたが、
徒歩用の地図も出版していたのだ。
今回、たまたま、見つけて手に入れましたが、
ほとんどの巡礼者は
巡礼事務所でもらった地図しか持っていないので、
ぼくが、バルやアルベルゲでこの地図を見ていると、
「ちょっと、それ見せて」と、よく声をかけられた。
巡礼する方には、おすすめの地図です。

     
 ミシュランの巡礼者用地図    


 今日は、今回の巡礼の旅の中で、
最も大きな都市であるレオンが目的地。
北はカンタブリア海に面した港町ヒホンから、
南はアンダルシアのセビーリャまで、
全長800キロ以上に及ぶ
古代ローマ時代に築かれた交易路を”銀の道”という。
南北に走る”銀の道”と、東西に走る”巡礼の道”が、
交差する位置にあるのが、このレオン。
交通の要衝として栄えた古都だ。

レオンまでは、26キロ。
小雨が降っているので、
バックパックとギターケースに
レインカバーを装着し、
7時過ぎに出発する。
6キロほど歩き、
マンシーリャ・デ・ラス・ムラスという町で
モルシージャ(スペインのソーセージ)、
目玉焼き、ポテト、サラダ、
カフェ・コン・レーチェの朝食をとる。
毎日だとつらいが、
たまの雨も、悪くはない。
落葉が折り重なった道に雨が降り注ぎ、
それを踏みしめて歩く時、
深い秋の芳香が立ちのぼる。
遠くには、すでに雪化粧された山々の
峰が連なって見える。
カスティーリャ・イ・レオン州の北部は
標高約1000メートルにも位置し、
冬の寒さは厳しい。
11時半にビリャレンテという町のバルで
8.5ユーロの巡礼者メニューの昼食をとる。
豚肉グリルと野菜がたっぷりでお腹いっぱい。
午後になり、徐々に雨雲が切れてきたが、
レオン手前で、ちょっとした峠越えが待っていた。

雨はやんでいたが、急な下り坂が
泥道になっていて歩きにくい。

         
 雨の道もあれば・・・   イバラの道もあり・・・    泥の道もあるのだ・・・ 

 16時にレオンに到着し、中国系の雑貨店で、
やっとiPhone充電用の変換プラグを購入。
街の入口のバルで少し休憩して、
中心地の大聖堂のすぐ近くにある公営アルベルゲに
17時過ぎにチェックイン(6ユーロ)。
アルベルゲで初めて日本人の男性スタッフに出会う。
そのYさんは、スペインが好きで、
各地のアルベルゲを転々とし、
お仕事されているそう。
今年は例年に比べ、気温も低く、
巡礼者も少ないなど、
最近の巡礼事情をいろいろ聞くことができた。
夕食はYさんに教えてもらった、
近くのレストランで巡礼者メニューをとる。


8日目 ヴィリャダンゴス・デル・パラモへ

 旅も終盤にはいってきた。
残された日数では、残念ながら、
ひとつの街をゆっくり観光しているわけにもいかない。
7時、まだ夜の明ける前、レオンの大聖堂に
後ろ髪を引かれつつ、歩き出す。
街を出て、小高い丘を通過する時に、
多くの洞窟の家があった。
かつて、スペイン南部のグラナダで
見かけたヒターナ(ジプシー)の家。
今では、もう誰も住んでいないようだが、
ここにも流浪の民の町があったのだろう。
歩く旅でなくては、
決して気づくことのできない光景だ。
 夜はやがて明け、青空が広がってきた。
砂利の直線道の先に
巡礼者の小さな背中が見える。
巡礼の旅をしていると、寡黙に歩く人の後ろ姿は、
なんて美しいんだろう、と
しばしば感動することがある。
耳に入ってくるものといえば、
枯れた草原をわたってくる風の音だけ。
1時間ほど歩き、バルで目玉焼き、
ハム、トルティージャ、カフェ・コン・レーチェの朝食。
1時間歩いたといっても、レオンは大都市、
やっとレオンの出口に辿り着いたくらいだろうか・・・。

     
 レオンの大聖堂    洞窟の家

 レオンを過ぎれば、平たんな道が続く。
12時過ぎ、サン・ミゲル・デル・カミーノのバルで、
ビーフのボカディージョ、サラダ、
セルベッサ(ビール)の昼食。
16時にヴィリャダンゴス・デル・パラモという
小さな町に到着し、
ムニシパル(公営)のアルベルゲにチェックイン。
小さなアルベルゲだが、おしゃれで
サロンに暖炉があって助かる。
日々、日中の気温も
下がってきているような気がする。
宿泊客はイタリア人の若い男性と、
韓国人カップルのみと少ない。
夕食は、近所のスーパーで調達してきて、
久しぶりの自炊。
アーティチョークの瓶詰、冷凍のムール貝。
おいしそうな豚の塊肉があったので、
2切れカットしてもらった。
そしてアルベルゲのキッチンで、
ムール貝のワイン蒸と、豚のグリルを料理。
4ユーロで買ってきた赤ワインも美味しい。
食事後、暖炉の近くでギターをポロポロ。
すると、イタリア人のピエトロ君が
話しかけてきたので、
しばしイタリア談義となる。


9日目 アストルガへ

 朝食も、昼食もほぼバルで
すませることになる。
バルとは、コーヒーを飲むところ、
アルコールを摂取するところ、
食事をするところ、社交場として、
朝早くから夜遅くまで、
どんな小さな町にも必ず存在する。
地元の人にとっても、もちろん大切なものだし、
ぼくらのような巡礼者にも、休憩所、
食堂、情報交換の場として、
なくてはならない。
しかし、はじめて訪れた場所での
バル選びは難しい。
できれば、美味しい店に入りたいからだ。
歩き疲れて辿り着いた町に数軒、
バルがあるなら選択に悩む。
しかし、町の入口にあったバルを
確認したあと、欲をだして、

もっといいバルがあるのではと、
町の出口まで歩き物色。
結局その町にあるバルは
最初目にしたその1軒だけだった・・・、
ということも、しばしば。
これを徒労とよぶ。
次の町までもまた、数キロあるし、
この空腹、乾きを癒すには
やはり、町の入口のバルまで
引き返すしかない・・・。

 今日は遅めの8時出発。
巡礼の道の行先を示す、
黄色い矢印があまりなく、
不安だったので、早々に目についたバルに立ち寄り、
朝食をかねて、マスターに道を確認する。
雲も多いが、基本、青空の日。
11時半、オスピタル・デ・オブリゴという町の
バルで昼食。
注文したオリーブ、ハム、
マッシュルームのピザとサラダは、
ヴォリュームたっぷりだったが、
美味しかったので完食した。
今日は28キロ歩いて、17時に
目的地・アストルガに到着。
街に入ってすぐの公営アルベルゲにチェックイン。
規模はレオンほどではないが、
ガウディ設計の司教館もある
ちょっとした観光都市だ。
バルセロナのサグラダ・ファミリアで有名な
アントニオ・ガウディの建築物は主に
バルセロナに集中しているが、
遠く離れたここアストルガにも
彼の作品があるために、

有名になった街なのだろう。
アストルガの街を散策し、
バルを2軒ほどはしごして
アルベルゲに帰ると、もう21時になっていた。
消灯時間まで、あと1時間。
よし、洗濯してしまおう。
洗濯物をコインランドリーに
入れて洗濯する間、
食堂でギターをパラパラ。
そこで、自転車で巡礼しているという
ブラジル人女性と仲良くなる。
小柄ながら、ピレネー山脈も自転車を
担いで越えてきたというのだから、すごい。
ぼくは、ブラジルへも2度、
旅しているのでブラジル談義に花が咲く。
彼女のためにショーロ(ブラジルの音楽)を
弾いてあげたりしていると、
あっという間に時間が過ぎてしまった。
消灯時間の22時になると、
ニコリともしないアルベルゲの
男性管理人があらわれ、
はやく寝なさいと食堂を追い出される。
そう、ここは公営のおかたいアルベルゲだったのだ。

     
ガウディ設計の司教館     アストルガのスイーツ


10日目 ラバナル・デル・カミーノへ


 昨夜、アストルガをぶらぶらしていて、
気になったスイーツ店の多さ。
アストルガには
チョコレート博物館なるものもあって、
スイーツの街と呼ばれているそうだ。
朝から甘いものを食べるなんてことは、
普段、まったくないが
この街の雰囲気に洗脳されてしまったようで、
なんだか、無性に甘いものが食べたくなる。
アルベルゲを7時に出発し、
すぐ近くに見つけたバルに入って、
ついつい、ショーケースに並んでいた甘い菓子パンを
2つも食べてしまった。
たまには、こんな朝食もわるくない。
アストルガを後にして歩きだすと、夜が明けてきた。
今日は快晴だが、緩やかな登坂が続く。
出発地のアストルガは標高868メートル、
目的地のラバナル・デル・カミーノは
標高1150メートル。
ちなみに、ぼくの住む東京八王子は
標高110メートルだから、

けっこう高い場所にいることになる。
 約51万㎢のスペイン国土の3分の2を
覆う中央高原をメセタと呼ぶ。
ぼくがこの旅で歩いている
カスティーリャ・イ・レオン州は
平均標高が700~800メートルの
北部高位メセタに属する。
真っすぐに伸びる巡礼の道の先には、
歩いても歩いても、
目的地はそう簡単には、現れてはくれない。
右手には針葉樹林、
左手には秋の太陽に照らされた
広大なメセタが広がっていた。

         
 寂寞たるメセタ        


 11:30、サンタ・カタリナ・デ・ソモサと
いう町のバルで、生ハムのボカディージョ、
サラダ、セルベッサ(ビール)の昼食。
バルの女性マスターが、ぼくのギターを指さして、
何か弾いてくれというので、
エリック・クラプトンを1曲。
バルはお客さんで、いっぱいだったが、
暖かい拍手をいただいた。
 分割巡礼第3弾も歩き始めて8日目となり、
日本へ帰るスケジュールを考えると、
この道とも、今日か明日で
お別れになってしまうだろう。
毎回のことだが、
まだまだ歩ける気力と体力があるうちでの、
旅の切り上げというのは、やはり少し、
寂しいものだ。
 16時過ぎ、20キロ歩いて今日の目的地、
ラバナル・デル・カミーノに到着。
ヌエストラ・セニョーラ・デル・ピラールという
アルベルゲに5ユーロでチェックイン。
コンビニもないような小さな町だったが、
夕食はアルベルゲの管理人の
イサベルおばさんに教えてもらった
近所のレストランへ。


11日目 セゴビアへ


 朝3時。
ぼくは、漆黒の寝室、2段ベットの上で、
悶々と悩んでいた。
同室の20人ばかりの他の巡礼者たちは、
もちろん深い眠りの中。
明後日(11/5)、日本に帰るためマドリードから
飛行機に乗らなくてはならない。
寝袋に入ったまま、
今日も歩くことを続行すべきか、
安全をとって早めにマドリードに
引き返す日とすべきか、
行程表や地図をiPhoneの灯りで照らしながら思案。
第1、2回目の分割巡礼でも、
旅の区切りを決断するのは悩ましかった。
飛行機には必ず間に合うように、
かつできるだけ歩いて累計距離を
かせいでおきたかったからだ。
しかし、なにしろ、この辺はかなりの田舎。
小さな町にバスがやってくるのは、
1日1本なんてザラだ。
日程をフルに使ってギリギリまで歩いて、
ヘタなところを終着地にしてしまったら、
マドリードまで戻る時間が予想外にかかって、
飛行機に乗り遅れてしまう可能性だって出てくる。
 みんなが起きだした頃、
イサベルおばさんに相談してみた。
すると、この先歩いて、マドリードまでに
アクセスのよい街はポンフェラーダとのこと。
しかし、ここからポンフェラーダまでは
33キロもあり、山越えも待っているので、
やはり、今回はここ、ラバナル・デル・カミーノが
フィニッシュと判断した。
今日はとりあえず、
昨日の出発地であるアストルガに
タクシーで引き返し、
そこからアルサのバスでマドリードへ
向かうことにした。
イサベルおばさんに、タクシーを呼んでもらうと、
あらかじめ料金は25ユーロとまで交渉してくれた。
20キロ走ることになるのが、
良心的値段でありがたい。
9時にタクシーがやってきた。
イサベルおばさんに、
ーありがとうございます。
来年もまた、この地に戻ってきます。
と、挨拶してラバナル・デル・カミーノを後にする。
アストルガに向かう、
ゆるやかなアップダウンの舗装道路から、
並行するように人の歩く巡礼の道が見える。
そこは、もちろん赤茶けた土の細い道。
車窓には昨日、1日かけて、
歩いてきた景色が、瞬く間に流れていく。
細かな雨が降り、
霧をくぐるように峠を走るタクシーに乗っていると、
30分でアストルガに到着した。
若い男性運転手に25ユーロわたし、礼を言うと、
マドリード行のバスがまさに
出発するというところだった。
慌ててチケットを27ユーロで買い、
滑り込むようにバスに乗り込む。

 アルサのバスは途中でいくつかの停留所に寄って、
乗客をピックアップしながら、
マドリードを目指してメセタを
高速で突き進んでいく。
すると、やがて飛行機雲が、
すーっと伸びている青空が広がってきた。
スペインには、あと2泊することになるが、
今日はある程度、交通の便のよいところであれば、
必ずしも、マドリード泊でなくてもいい。
バスの中で、iPadにインストールしておいた、
スペインのガイドブックをパラパラやる。
そういえば、マドリード近郊のセゴビアにはまだ
行ったことがなかったことに気づく。
子豚の丸焼き(コチニーリョ・アサド)で
有名な街だ。
これは、ずっと食べたいと思っていたので、
この機会にセゴビアに行くことにした。
 バスは15時ちょっと前に、マドリードに到着。
それから、地下鉄に乗り換え
チャマルティン駅(マドリード市内)へ行き、
さらに列車に乗り換えて、セゴビアへ。
チャマルティン駅に着いて、
セゴビア行の特急列車の時刻を調べたら、17時発。
1時間ほど、バルでカフェ・コン・レーチェを
飲みながら時間をつぶすが、
列車に乗ってしまえば、わずか30分で
セゴビアに着いてしまった。

 マドリードの北西へ100キロ弱、
15世紀にはカスティーリャ王国の中心地として
繁栄した城塞都市セゴビアは
標高1002メートルという高地に位置する。
列車の駅を降りると、
中心地までは少々離れているので、
シャトルバスに15分ほど揺られることになる。
バスが、登り坂を走り、終点に着くと目の前に、
でーんと紀元1世紀前後に
造られたというローマ水道橋が現れる。
夕日を浴びた、全長728メートルの
巨大水道橋は壮観だ。
アルカサル城へ続く坂道は、歴史的建造物も多く、
さらにレストラン、土産屋が軒を連ねているので
観光客も、たいへんな数だ。
 しばらく、楽しい雰囲気のセゴビアの街を
散策しながら、
美味しそうなレストランの物色も忘れない。
名物の子豚の丸焼き(コチニーリョ・アサド)は、
多人数でいけば、もちろん
1匹丸ごと注文して、シェアもできる。
この料理の独特な切り分けの様子は、
Youtubeなどで検索してみると見つかる。
こんがり焼きあがった子豚を、
お客さんの前に持ってきて、

給仕が白い皿を直角にして、
ガツンガツンと豚を切り分けていく。
そして、切り分け終わると、
そのナイフ代わりに使った皿を床に叩きつけて、
粉々にするという派手なパフォーマンス付き。
1度、体験してみたいが、
今回はそんな注文をできるわけはなく、
すでに、厨房でカットされた1人前を、
いただくこととなる。
値段はどこのレストランも大差なく、
コチニーリョ・アサドをメインとした
ちょっとしたコースで30ユーロ前後。

店選びに迷った時は、
混んでいる店にすることにしている。
混んでいるということは、
待たされる時間が長いということだが、
美味しい店であるひとつの証左でもあるから。
まあ、ここまでくれば、急ぐ旅ではない。
メインがくるまでは、
ゆっくりワイングラスを傾けながら、
オリーブでもかじっていればいいのだ。
そして、ある1軒のレストランの扉を押した。

     
 セゴビアの水道橋 コチニーリョ・アサド


 テーブル席に案内され、
コチニーリョ・アサドのコースと赤ワインを注文。
スペインの食文化には
感心・感動させられることがたくさんある。
そのうちのひとつはタパス、
あるいはピンチョスと呼ばれる小皿料理。
スペインは、かつてレンタカーで
かなりの場所を巡った。
どこにいっても、
どんな小さなバルやレストランでも、
カウンター席の上にはショーケースがあり、
その中には、その店その店の
オリジナルの小皿料理が
目を楽しませてくれる。
どれも美味しそうで、あれも食べたい、
これも食べたい・・・。
今回、ぼくの歩いた
カスティーリャ・イ・レオン州の西の地方は、
スペインでは珍しく、
これらタパス、ピンチョス料理の置いてある
お店をあまり見かけなったのが、ちょっと残念。
 さて、サラダをつまみに、
赤ワインを飲んでいると、
夢にまでみたコチニーリョ・アサドの一皿が
運ばれてきた。
生後15~20日という子豚の皮が
こんがりときつね色に焼かれ、
期待値は最高潮となる。
(生まれてきたばかりで、申し訳ないと思いつつ)
 
 その肉をナイフで切って一口。
ーん・・・?
そしてニ口。
ー皮のパリッとした食感はいい・・・。

 ぼくは、正直、
好き嫌いはなく何でも食べられると自負している。
存在意義が理解できないといった
食べ物はあるには、あるが、
それでも”これは、食べられない”というものは
思い当たらない。
むしろ、よりローカルなもの、
くせのあるもの、くさいものが大好きな方だと思う。
そのぼくがである・・・。
お店の名誉もあるので、
店名・場所などはもちろん、ふせるが
肉の味が妙にくさくて(強いアンモニアのような)、
三口で箸(ナイフとフォーク)が止まり、
もうそれ以上、
食べることができなくなってしまった。

長年、憧れていたものだけに、かなりショック。
子豚の特徴的なにおいで、
これを好む人もいるのだろう。
ちらっと見ると、隣の席の
スイス人夫婦(少し喋った)は同じ料理を
うまそうに食べている。
旅の疲れで自分の舌が、
おかしくでもなったんだろうかと
真剣に悩んだが、これも旅のエピソード。
ひとつ勉強させてもらいました、
と自分に言い聞かせる。

 この日は奮発して、
セゴビアのパラドールに宿泊することにした。
パラドールとは古城や修道院などの
歴史的建造物を改装したスペインの
国営ホテルのことで、スペイン全土に展開している。
どこのパラドールもそうだが、
ここセゴビアも眺望が素晴らしい。



12日目 マドリードへ


 いよいよ、スペイン滞在最終日となった。
8時に起きて、カーテンを開けると
青空の下に中世そのままの
セゴビアの街が見渡せる。
お腹がすいたので、パラドールのレストランへ。
久しぶりに、高級ホテルで
優雅なビュッフェスタイルの朝食だ。
さすがスペイン。生ハム、チーズの種類が
豊富で目移りする。
このパラドールは昨日、
アストルガからマドリードへの
バスの中からインターネット予約した。
今日、ここセゴビアからマドリードへは
12時の特急列車に乗ることにした。
時間に余裕があるので、
出発前に今夜の宿を予約してしまおう。
去年も最終日は、マドリード泊で、
夜はピカソのゲルニカがある
ソフィア美術館にいった。
今年は、ベラスケス、グレコ、ゴヤの作品が多数、
展示されている
プラド美術館に行きたかったので、
なるべくその徒歩圏のホテルを探す。


 マドリードに戻ってきた。
チャマルティン駅から地下鉄に乗り換え、
予約したホテルのあるカリャオ駅へ向かう。
実は、マドリードの地下鉄は複雑に
入り組んでいて、
乗り換えは本当にたいへんだ。
切符を買うにも、
難しくてよくわからない自動販売機なので、
ぼくはもっぱら、
なるべく優しそうな駅員さんを探して、
行先を告げ、クレジットカードを渡し、
丸投げ状態で切符を
買ってもらうことにしている。
スペイン人は総じて、お人好しで、
旅行者にも優しいが、
マドリードのような大都市の
駅員さんなどは、仕事量の多さゆえか、
カリカリしていて不親切な人も少なくない。
なので、何かお願いする時は、できるだけ
”優しそうな人”を見つけることが重要。
 チャマルティン駅から、
カリャオ駅は12駅目にあたる。
乗り換えは1回だが、
こういう時もなるべく、地元の乗客に
この線、このホーム、この方向が正しいか、
まめに尋ねて確認するように心がけている。
カリャオ駅に到着し、地上に出ると運よく、
予約しておいたホテルがすぐに見つかった。
近くのバルでタパス数品と
セルベッサ(ビール)の昼食をとってから、
チェックイン。
一休みして、さあマドリードの街に繰り出そう!

         
 プエルタ・デル・ソル    カルロス三世    プラド美術館


 今日は11/4、日曜日。
プラド美術館は日・祝日は17時から
入館料無料となる。
(月曜~土曜は18時以降無料)
プエルタ・デル・ソルやマヨール広場など、
マドリードの街を散策していれば、
入館料無料の時間帯となるだろう。
日曜日の夕刻ということもあってか、
マドリード市内は、たいへんな人の賑わい。
大道芸人や、ストリートミュージシャンが
いたるところで、パフォーマンスしていて
活気があふれている。

 マドリードは何度も訪れていて、
ソフィア王妃芸術センターにも
2度行った記憶があるが、
プラド美術館は初めてかもしれない。
18時頃、プラドに到着すると意外にも
ほとんど並ばず、すんなり入れた。
かつて、プラドにはピカソのゲルニカが
収蔵されていたそうだが、
今ではソフィア王妃芸術センターに
展示されていて、
ピカソの作品は1枚もない。
しかし、ベラスケス、グレコ、ゴヤなどの
スペインを代表する巨匠たちの
作品が多く、彼らの作品を通して、
この国の中世から近代への
激動の歴史を肌で感じられる美術館だ。
ちなみにソフィアとプラドは
徒歩圏内にある。

 プラドで一番、
ひとだかりのできていた作品は、
やはり、ベラスケスの
ラス・メニ―ナス」(女官たち)だった。
フェリペ4世のマドリード宮殿の
一室でのスペイン宮廷人たちの
様子を描いた1枚。(1656年作)
複雑な構図は多くの人を惹きつけ、
あのピカソもこの絵のために
何度もプラド美術館に足を運び、
なんとラス・メニ―ナスをモチーフに
58点もの連作を制作しました。
ぼくが1番、見たかったのは、
ゴヤ(1746~1828)の
1808年5月3日、
マドリード プリンシぺ・ピオの丘での銃殺
」。
ゴヤの生きた18世紀後半~19世紀前半は、
フランスのナポレオンが膨張主義によって、
ヨーロッパの多くの国を征服する時代だ。
夜明け前の闇を背景に、
銃を構えるフランス兵と
スペインの民衆が対峙する
緊迫の情景が描かれている。
現在、マドリードの地下鉄地図を見ると、
中心部にプリンシペ・ピオという駅がある。
数百人ものスペイン人が
銃殺された事件はここで
あったのだろう。


13日目 帰路

 日本に戻る便は11:10、
マドリードのバラハス空港から。
夜の明けぬ7時に、
小雨の中を地下鉄の駅へ向かう。
今回も200キロ歩くことができた。
これで、全長800キロの巡礼の道を、
分割ではありますが、
その4分の3を歩いたことになります。

 スペインの魅力は、たくさんあります。
音楽、芸術、日本と同じく海に囲まれた
国なので魚介料理が美味しい、
旅行者に対して優しい、
変化に富んだ大自然・・・etc。
そして、ヨーロッパの西の果てという
地理的条件もあってか、
その歴史も、たいへん興味深い。
ローマ時代から続いたキリスト教世界は
ウマイヤ朝の侵攻をうけ、
718年~1492年までイスラム教の
支配下となった。
このイスラム時代をまた
レコンキスタ(再征服)の時代とも
呼ぶことができ、
幾多の戦争が行われてきたが、
勢力争いは1492年のグラナダ陥落に
よって終止符が打たれる。
スペインは再びキリスト教世界となるが、
実にこのレコンキスタは
800年近くも続いたことになる。
そこから、スペインの黄金時代が始まる。
コロンブスが、新大陸を求めて
出発したのもレコンキスタ終結の1492年。
南米大陸のブラジル以外の国は、
スペインの植民地となり、
莫大な金・銀・宝石類を本国にもたらした。
残酷な略奪、征服がもちろんあった。
間違いなく、スペインはこの時期、
大航海時代をむかえ、
世界のトップに躍り出たのだ。
そして”太陽の沈まぬ国”と
呼ばれるほどになっていた。

 ぼくが昔、
アルベニス(スペインの国民的作曲家)の
スペイン組曲を勉強していた時、
不思議に思ったことがあった。
スペイン組曲は、グラナダ、セビーリャ、
アストゥリアスなどの
スペインの地名がそのまま曲のタイトルと
なっていて、この国の情景に想いを
馳せることができる美しい組曲です。
当時は、スペインの歴史にも
あまり興味がなかったので、
なんで遠く離れたカリブ海に
浮かぶ島国である「キューバ」という曲が
この組曲の中に入っているのだろう・・・?と、
ちょっと違和感を感じました。

キューバは1492年に
コロンブスによって発見され、
1511年~1898年の間が
スペインの植民地時代。
スペイン組曲の作曲されたのが、
1886年ですから
なるほど歴史を知れば、納得した。
ぼくは2度、キューバのを
旅したことがありますが、
ハバナの街並みは、スペイン建築が
数多く当時のまま、残されていて、
今でもここは、スペインだろうか・・
と見紛うほど。

 多くの植民地を獲得し、
栄華を極めたスペインだったが、
やはり奢れるもの久しからず・・・。
やがて、植民地から手に入れた銀は
国内で増大しインフレを引き起こし、
またイギリスやフランスの台頭によって、
世界の檜舞台から姿を消すことになる。
植民地はすべて失い、
まさに天国から地獄へといったところ。
 ヨーロッパも依然、
厳しい経済状況が続いていますが、
スペインには不思議と悲壮感というものが、
あまり感じられない。
この国の人々は、
旅をしていて困ったことがあれば、
すぐ手を差し伸べてくれるし、
ちょっとしたきっかけさえあれば
言葉の壁を越えて
楽しい空間を与えてくれる。
そんな底抜けに明るく、力強く、
そして他者に対して優しいという国民性が、
とても魅力的で、ぼくは何度も
このスペインを訪れてしまうのだ。