日記のページ2017

            




12月の日記


アナロジー

 アナロジーとは、類推、類比といった意味です。
歴史は繰り返すなどと、よく言われますが、
70年周期説というのもあって、
この周期で社会が大きく転換すると
考えられています。
近代日本にあてはめれば、
大政奉還によって江戸幕府から、
近代国家になったのは、1867年。
日清・日露戦争に勝利し、
太平洋戦争に突入したのが、1941年。
その間は、約70年です。
そして1941年から70年経過したのは、だいたい現在。
大震災を皮切りに、他国との関係もなんだか
不穏な空気が増している。
アナロジー的思考では、過去に起こった状況と、
今の状況が似ているぞと、
類推し、結び付けて分析します。
そうすれば、繰り返す歴史の中で、
同じ過ちは減り、紛争や戦争もなくなる。
・・・はずですが、残念ながら、人類は愚かで、
過去から学ぶということが、
いつの時代になってもなかなか、できないようです。

 しかし、このアナロジー発想は、
いろいろ応用できて、楽器演奏にも
当てはまります。
楽器を演奏するということは、高度な情報処理と、
フィジカルな運動を同時に、
かつ感情を込めて、進めていくことに
他なりません。
まして、これをステージでやるとなると、
間違えたからと言って、
途中からやり直したりすることは、
できないので、かなりメンタルの強さも要求される。
これは、スポーツや武道と似ているなと、
かねがね思っていたことでした。

ぼくは、類推しました・・・。
そして、もう40代も後半、
恥ずかしながら去年の秋から、
まったく未知の世界の門を叩き、新しい勉強を、
することにしました。
それは、ずっと興味のあった”合気道”です。
合気道の精神の大きな根幹にあるのは、
”脱力こそ、真の強さに通ず”といったところ。
ギターを、左手で力いっぱい弦を押さえて、
右手で力いっぱい弦を弾いたら、
いい音楽が演奏できるだろうか?
長時間(長期間)の演奏は不可能だし、
何より、肉体がある程度、
力が抜けている状態でないと
音楽的表現などはまず、無理だろう。

 完璧に脱力された演奏者の身体と、
自然な音楽、そしてお客様とが調和した空間。
そんなライブが、ぼくの理想。
合気道では、力で向かってくる相手に対して、
力でねじ伏せるというということは絶対にしない。
ここが、目に見えるような勝敗を重要視する
他の格闘技と合気道の大きく異なるところで、
”争わない武道”とも呼ばれている所以。
例えば、相手が自分の自由を奪おうと
強く手をつかんできても、

反発することなく自分の手や全身は
脱力した状態で、
相手を相手が行きたい方向に
導いてあげるという発想。
相手は、わけもわからず、いつのまにか、
投げられてしまう。
(正確には、相手が自らの力で勝手に、
倒れてしまうのだ)
合気道では、人間の筋肉や関節の働きが、
研究されつくしていて、
身体のどの部位にどのような方向性を持たせると、
結果どうなるかが
論理的に説明されます。
ぼくが教えを受けている先生の、
その無駄のないしなやかで、美しい動きには
思わず、ため息がもれてしまうほど。
それに加え、この先生は、
説明の困難な身体の使い方についての
言語化にもとても精通されています。
週に1度、道場に通う程度ですが、
年齢や経験に関わらず、
様々な人たちと一緒に稽古しているだけで、
人間の身体の神秘を垣間見、毎回、
目からウロコが落ちる思いだ。
そして、そこにはまさに、明るくポジティブな
”気”が満ちているから、
道場にいるだけで、元気がもらえる。
 ギターと合気道。
一見、結びつきのなさそうな2つだが、
なにかギター演奏にいかせることが、
あるのではないかと、
飛び込んだ世界だったが、
想像以上の収穫がありました。
結局、パフォーマンスを向上させるには、
身体の細部にわたってリラックスが
必要という考えは、
まったく共通するものだったのです。


 音楽表現を深めていくのに、ゴールはなく、
それは遠い道のりです。
だからこそ、いつまでも新しい発見や
出会いがあって楽しいのかもしれません。
音楽をやっているのは、単に楽器演奏が
うまくなることが目的ではなくて、
音楽を通じていかに自分に気づき、
自分を高められるかということ。
それには、楽譜を読んだり、理論を勉強したり、
テクニックの練習だけでは、
足りず、やはり身体・精神の脱力が
重要な鍵であると、
やがて自ずと気づいていくものです。
しかし、脱力が必要と口にしながら、
脱力の練習をしている人が、あまりいないのも事実。
来年もアナロジー的発想で、
いろいろ学んでいきたいと思います。
よいお年を!


11月の日記


歩いてきました

 去年に引き続き、歩いてきました、
スペイン巡礼の道。
フランスのサン・ジャン・ピエド・ポルを出発し、
国境とピレネー山脈を越え、
イベリア半島上部を西に向かって進む
約800キロに及ぶ道。
ゴールは、スペインの
サンティアゴ・デ・コンポステーラ。
毎年、200キロ歩き、
4年かけて踏破する計画の2回目で、
今年は8日間で240キロ歩くことができました。

 年齢を重ねるということは、間違いなく、
失うものも多くなるということ。 
(健康、大切な人、大切なもの、etc・・・)
しかし、逆に今まで、気づかなったものに
気づけるようになったのも、
年齢を重ねてきたからとも思います。

 ぼくは、時々、高齢者施設に行って、
音楽レクリエーションなどの仕事も、しています。
そのような施設には、歩くことや、食事、排泄などが
自分だけではできない方もたくさんいます。
そこでは、発声練習をしたり、
リズム遊び(トレーニング)をしたり、
身体を音楽に合わせて動かしたり、
楽曲の歌詞解説をしてから歌ったり・・・。
長年、音楽の教育現場にいるので、
様々な人の年齢、性格の傾向、趣向には
そこそこ対応してきたつもりで、
少々のことでは自分は動じないと、
自負していましたが、
そんなものは、驕りでしかなく、
まだまだ知らないことがあると、
痛感させられることが、
このような現場には多々あります。
高齢者施設で、働くスタッフは、基本業務だけでも、
もちろんたいへんな仕事ですが、
それに加え、レクリエーション
(ゲーム、身体を動かす、認知症予防、
コミュニケーション、etc)なども
担当しなくてはならない場合もあります。
そんな、いろいろあるレクリエーションの中でも、
音楽レクリエーションが人の心身に
与えるよい影響は、かなり大きなものです。
ぼくは、音楽レクリエーションをやる時は、
必ずギターを持っていきます。
カラオケなどを使った音楽レクリエーションも
ありますが、やはり
生の楽器がそこで弾かれているということは、
数倍、人の胸に届く強度では勝るでしょう。
実際、感動的な場面に何度もあいました。
普段、仏頂面の人が大きな口を開けて
楽しそうに歌っていたり、
目も見えず、認知症でコミュニケーションも
ままならない人が昔歌っていた歌を完璧に
歌っていたり。
加齢によって、記憶を失っていっても、
最後に覚えているのは、メロディーや、
歌の歌詞だったりと、
本で読んだことがありますが、
このような状況を目の当たりにすると、
人間の脳というものの神秘や、
音楽の力にあらためて驚きます。

 ぼくは歩いて、スペインを旅しました。
ただ、歩く・・・、歩いている・・・。
この行為が、実はいかに幸せなことかに
気づきます。
歩けるならば、美しい野山の中に行ける、
川のせせらぎを聴ける、
風を感じ、美味しいものを食べにいける・・・。
自由に歩けるうちはそれを当たり前の
ことと思っているもの。
小さなことに、感動し、感謝する心を
持ち続けたいものです。
スペイン巡礼の旅、第2弾のレポートは
旅のページにて、更新中!


10月の日記


 分割の旅へ

 今月は、とうとうスペイン巡礼の旅、
第2弾への出発となった。
去年の同時期、多くの巡礼者が出発地とする
フランスのサン・ジャン・ピエド・ポルから
ピレネー山脈を越え、イベリア半島上部を
東から西へ9日間で200キロ歩いた。
サンティアゴ・デ・コンポステーラを
ゴールとするその道は全長およそ800キロ。
ぼくは普段、あまり、日曜日や祝日に関わりなく
働いているのでその分、1年に1回、
どかんと休みをとって旅に出ることにしている。
そして何の因果か、
近年では歩く旅にはまってしまった。

 旅のために捻出できる日数が2週間(14日)。
そのうち飛行機やバスでの
移動時間などを差し引けば、
実質、スペインの地を歩けるのは、
9日間くらいが目安となる。
毎日20~30キロ歩けば、1回の旅の移動距離は
だいたい200キロ。
つまり、同様の旅を分割で4回(200キロ×4)
やってやっと、すべての行程を
歩き切ることができる計算だ。
日本との往復にはマドリードの空港を利用する。
去年の巡礼の旅第1弾での最終地は
ラ・リオハ州のナバレーテという場所。
まず、日本から、マドリードへ飛び、
そしてマドリッドからバスを利用して
このナバレーテにアプローチし、
そこを今回の旅の出発地とするわけです。

 以下の上図はイベリア半島全体、そして下図は
イベリア半島北部の巡礼の道を拡大したものです。




 ぼくは、自分の前世は
スペイン人だったんじゃないだろうかと時々、
思うことがあります。
何気ない日常の中で、
果てしない葡萄畑とオリーブ畑、
ドン・キホーテの風車、
眩しい海と白い家々の連なる、
あの多様な表情を見せるヨーロッパの西の果ての
大地にわが身を置きたくて、
いてもたってもいられなくなる衝動が
突き上げてくることがあるのです。
今回もぼくの旅の主軸は”歩くこと”。
”なぜ、歩くの?”とか”そんなことして楽しいの?”
なんて訊かれることもあるけれど、
ただ歩ける、歩き続けられるということに、
そして、ただそこにある美しい世界にふれ、
素直に感動できるという旅は、
やはり大きな価値を持っています。
生きることは苦しいですが、そんな時こそ、
内にこもるのではなく、
とりあえず、外に出てみたり、
旅したりと身体を動かすことが大切に思えます。
スペインまで行き、自分の足だけを頼りに、
ただひたすら、歩くというのも、
なかなかエネルギーのいることですが、
ぼくにとってスペインは
自分をリセットする場所なのかもしれない。


9月の日記

こころに届く言葉



 恒例、秋の大ホールでのスクール演奏会は9月2日。
府中のひばりホールにて、
無事終えることが、できました。
ありがとうございました!
今年もクラシックギターソロ、
アンサンブル、弾き語り、
打楽器とのセッション、フィナーレの大編成と
盛りだくさんのプログラム。
初めてステージに立つ方も、
ずいぶん緊張されたでしょうが、
たくさんの”気づき”という収穫があったようです。
また、毎年、出演している方には、
やはり”継続は力なり”・・・
多くの失敗、成功を経験して、芸に深みが増し、
いつも勇気と感動をもらっています。
芸に深化を求めるのは、実はとても難しく、
地道な努力の継続が必要であり、
必ず何らかの苦しみを伴います。
しかし、それらの道を通ったからこそ、
その人は魅力的になっていくと確信します。
 半年以上前から、選曲、アレンジ、
リハーサルスケジュール調整、
チラシ・プログラム作成と
なかなかやることも多いですが、
やはり一番たいへんなのが、当日。
毎年のことですが、9時の会場入りからすぐに
セッティングを始め12時くらいまで、
サウンドチェック、最終リハーサルを行います。
椅子や譜面台や機材などの移動、
アナウンスなどは出演者みんなが分担し、
協力してくれるので助かります。
本番は13時からで、あとは、
お客様に喜んでいただけるようステージに
集中するのみ。


 怒涛の2時間半の演奏会を終え、
集合写真撮影、後片付け。
その後、速攻で教室のある八王子へ、
そして今日の第2ステージである
打ち上げの幕が上がり、
みんなでビールやワインやウーロン茶で乾杯!
開放感からか、盛り上がって、打ち上げのお開きは、
すでに23時をまわっていた。
長い1日だった・・・。
(わかっちゃいるけど、
やめられない毎年のパターン)

 みんなの貴重な音楽体験になれば・・・
との一心で、20年以上、
毎年、この演奏会を続けてきた。
どんなに疲れていても、ぼくの独奏も
必ずプログラムに組み込む。
指導者の闘う(己と)姿を、
見せなくては生徒さんは、
ついてこないと思うから。

今回の演奏会を終え、ある生徒さんから、
いただいた言葉がとても印象的でした。

「演奏会は先生から、
生徒さんへのプレゼントですね。」


 今までも、多くの感謝の言葉や、
気持ちを受けとめてきましたが、
こんな表現の言葉をかけてもらったのは初めてで、
ドキッとしました。
そうか、ぼくも少しは誰かの
お役に立てているんだと、気づいたら、
苦労と思っていたものも、
なんだかちっぽけに思えてきた。
やはり、人の何気ない、やさしい言葉、
ぬくもりのある表情や雰囲気は、
受け手の人間の心の奥深いところに届く・・・。
ぼくも、人の心に語りかけられる人間になりたいと、
また生徒さんから教えられたのでした。

お客様、生徒のみなさま、スタッフ、
パーカッションの田中先生、
鍵盤ハーモニカのKUMIさん、
ありがとうございました!

来月は、スペイン巡礼の旅
第2弾(200キロ歩く)のために
2週間(10/24~11/6)休講いただきます。
生徒のみなさま、仕事を共有する方々には、
ご迷惑をおかけしますが、
穴埋めするので許してね・・・。


9月の日記


本番、間近!



 スクール・アコースティック部門の演奏会が
9/2と目前に迫ってきました。
恒例の演奏会フィナーレでは、
全体合奏でアルベニスの
「コルドバ」にチャレンジします。
このために、原曲のピアノ譜を読み込んで、
4パートからなるギターアンサンブル用に
アレンジしました。
全体としては、かなり原曲に忠実に音を配置し、
所々、ギターならではの奏法がいかせるよう
創作部分も盛り込んだりもしました。
なぜ、この曲を選んだかというと、
旋律、和声が美しいのはもちろんですが、
リズムが興味深かったからです。
時が止まってしまったようなコルドバの街に
響く荘厳なメスキータの鐘の音のような
ゆったりとしたイントロから、一転、
スペインの躍動的なリズムにのって
主旋律があらわれる。
この主旋律以降は、拍の裏をとる、
いわゆるシンコペーションリズムが
多用されていて、
正確にテンポをキープしていくのが、
なかなか難しい。
音を出すことばかりに、一生懸命になっていると
休符(弾かないスペース)は
往々にして、本来の長さより
短くなっていく傾向にあります。
この問題に向き合いたいと考え、
コルドバを選曲したわけですが、
7月からスタートしたコルドバのリハーサルでは
案の定、この現象が多発しました。
独奏をしていても、もちろん間(休符)は
大切ですが、アンサンブルでは
どこかのパートが休符の長さを無視して
暴走しだすと演奏自体、困難になってしまいます。
だから独奏だけでは、わからなかった多くの気づきが
アンサンブルにはあると思います。
1人1人が安定したテンポをキープできることは
もちろんですが、
人の音をよく聴き、協調するという音楽に
とってもっとも大切な姿勢が
アンサンブルを通して養われます。

 音楽を続けていて、よかったなあ・・と
思うことのひとつに
みんなで1つの楽曲を仕上げていくという
喜びがあります。
困難もありますが、それを乗り越えたなら、
実にすがすがしい。
とくに、生徒さんとつくっていく演奏会は、
高校時代の文化祭のノリに近い。
独奏曲の選曲、アンサンブルの選曲、
楽譜の準備、編曲、
個人練習、合同リハーサルと、
だいたい半年かけて、
本番の日に突き進んでいきます。
ぜひ、秋の演奏会、お越しください。


7月の日記


人生いろいろ


 40歳を過ぎると、市から毎年、
無料の健康診断のお知らせがくる。
そういえば、去年はさぼってしまったなあ・・と、
思って2年ぶりに近所の内科医の門をくぐった。
父がかつて、大腸がんになったこともあったので、
大腸がん検診(別料金)も
オプションでつけることにした。
別料金といっても500円。
トータルで支払ったのはこれがすべて。
メニューは身長、体重、腹部周りの計測、
心電図をとり、血液検査。そして検尿、検便など。
2年前の健康診断では、
何の問題もなかったとはいえ、
人生何が起こるかわからない。
診断結果を聞くまでの2日間ほどは、
やはり少し緊張していた。

日々の生活習慣の中で食事と運動について。
朝食は魚メイン、野菜の自家製ぬか漬けや、
海藻、豆類も欠かさないようにしている。
昼はけっこうガッツリ肉系でいくことが多い。
夜は、はぼ炭水化物をとらず、
ワインとちょっとしたつまみ。
(チーズとかマッシュルームのアヒージョ、etc)
運動は、激しいことはせず、
家でちょっとしたストレッチや筋トレ。
そして週1回、合気道の道場に通っている。
歩くことは、ストレス解消にもなって好きなので、
スマホにインストールされている
歩数計を何気なく開いてみると1日に、
10キロ前後カウントしている日も、けっこうある。
しかしぼくは、ほぼ毎日、
赤ワインを(適量?)飲む。
休肝日が必要なんていわれているけれど、
あまり気にしていない。
まあ、暴飲暴食もしないし、適度な運動、
そして規則的な生活を送ってはいるが
ワインを少し控えなさい!なんて、
医者に言われないか、少し不安ではあった。
 結果は、メタボ、糖尿病の気配すらなく、
肝臓・膵臓も良好、大腸も問題なし、
善玉コレステロール値も理想的だそうで、
というか、全体的に検査結果の数値が
良すぎるとも言われた。

ー今後、何か、ぼくは健康のために
食生活で気をつけることはありますか?
と、医者に尋ねたら
ーこんなに数値がいいから、なんもない!
と、軽くあしらわれてしまった・・・。

こうなると、まるでワインを毎日、
飲んでいることが、からだによいのでは、
と自信を持ってしまう。
(ワイン以外はほとんど飲まず、
ビールは年に数回くらい)

 しかし、よいこともあれば、悪いこともある。
先日、左目が少しごろごろして異物感があり、
自分で目をいくら水ですすいでも
その感がなくならないので、
眼科医にいって診てもらうことにした。
異物感自体は軽い炎症だったので、
目薬で治ったのですが、
あわせて精密検査を行った結果、
左目の視神経の一部が損傷していて
緑内障の診断を受けた。
損傷部分はつまり、見えてはいないのですが、
生きているまわりの視神経がそこを補うので、
初期段階での自覚症状は、ほとんどないそうです。
緑内障は治ることはなく、
進行していけば失明につながる病気です。
眼圧が高いことが、主な原因とされていて、
手立てとしては、定期検診を受けながら、
目薬でそれをコントロールし、
損傷部分拡大を遅らせることぐらい。
幸い、右目は正常だったので
一安心ともいえますが、それにしても
最近、本当に目が悪くなったのを実感する。
ここ数年、遠近両用メガネをとても
便利なものとして重宝してきたが、
それも最近では、どうも焦点が合わず、
見えずらくなってきて、
本や楽譜を読むには結局、裸眼の方がいいや、
という状況。
 人生、長く生きてくれば、
失うものが多いのも事実ですが、
だからこそ、人の苦しみを
自分のものとすることができ、
人格に深みが増してくるのでは・・・、
という希望は持っている。



6月の日記


鏡になる

 今年の大ホールでのスクール演奏会が、
あと2か月と近づいてきました。
みなさん、ソロ、アンサンブルと、
がんばっています。
フィナーレの全体合奏で披露する
アルベニスの「コルドバ」のリハーサルも
7月から始動。
毎年、このフィナーレではぼくが選曲し、
書下ろしアレンジというスタイルをとっていて、

・美しく、アンサンブルの喜びを感じられるもの
・難し過ぎず、やさし過ぎないもの
・音楽的な学びや発見が得られるもの

などの観点から選曲、アレンジに気を
つかっているつもりです。
今年の曲はシンコペーションのリズムが多いので、
自分がどこを弾いているかわからなくなる
迷子者続出か・・・と、アレンジしながら、
にやにや。
(いや、こういう課題がある曲こそ勉強になり、
音を注意深く聴くという、
よい姿勢につながっていくに違いない)


 今年も歩くことにしました!スペイン巡礼の道。
去年の秋、出発地であるフランスの
サン・ジャン・ピエド・ポルから200キロほどを
9日間かけて、歩きました。
その第2弾(去年の終着地から出発)として、
今年も10月後半に
出発すべく飛行機のチケットを購入しました。
スペイン、東京の往復も含めて確保した日数は
去年と同じ2週間キッカリ。
飛行機に乗ったり、出発地までの
列車やバスでの移動時間を差し引けば、
その中で、スペインの地を歩けるのは
実質、9日間くらいになります。
このサンティアゴ・デ・コンポステーラを
目的地とする巡礼の道の全長は約800キロ。
2週間という休暇を利用して、
年1回に歩ける距離はおよそ200キロとすれば、
足掛け4年で、巡礼路の全行程を踏破できる計算です。
去年の巡礼では初日のフランスとスペインに
またがるピレネー山脈越えが一番、きつかった。
しかし、目的を共有する各国の巡礼者たちとの
暖かいコミュニティーが自然発生し、
大きな感動とともに、多くのことを学んだ。
去年、旅を終えた時点では、
毎年連続で巡礼のためにスペインに行くかは、
正直、はっきりとは考えていなかった。
(キューバやブラジルにも行きたいし・・・)
しかし、旅から離れしばらくすると、
深まり行くスペイン北部のゆるやかに
伸びる丘陵地帯、
見渡す限りの葡萄畑やオリーブ畑、
かすかな木漏れ日の中に膝まである枯葉が
敷き詰められた森の道に、
再び、わが身を置きたくなってしまった。
そして、その旅は電車や車ではなく、
自分の足で、自分の速度で前に進まなくては
意味がない。
雨の日だろうが、登り坂だろうが、
お腹がすいてバルが見つからなくても、黙々と歩く。

 斎藤孝さんは著作「天才の読み方」で、
宮沢賢治は「歩く」ことを技としていると
表現しています。
 
  -賢治は体育ではかなりの劣等生で、
  顔色も青白く、身体が弱かった。
  しかし、山に登るとなると、非常な速さで登る。
  岩手山という2000メートルクラスの山に
  何十回も登っていますが、他の人をしり目に
  グングン登って行くので、
  「なぜ、あの運動神経のよくない賢治がそんなに
  元気に登っていくのか」と、
  みんな不思議がるほどでした。
  賢治の場合は、自分にフィットした運動が
  「歩く」ということでした。
  「歩く」ことは、あまり鋭い運動神経を
  必要としない、
  反復的な行為です。
  それ自体はむずかしくない、
  誰でもできることです。
  しかし、それをずっと続けていくとなると
  話は別です。
  実は、この「歩く」という技が、
  賢治のいろいろな活動の中で
  大きな基盤になっています。
  それが一番はっきりしているのは
  「心象スケッチ」という詩のつくり方です。  
  「心象スケッチ」とは、机の前に座って、
  呻吟して首を捻りながら言葉を一つずつ
  書き連ねるというよりは、
  むしろ外に出て自分の目とか、
  体全体に入ってくる感覚や
  風景というものを書いていく、

  すなわち心に映る外部の世界を瞬間的に
  スケッチする方法です。
  自分が外のものを映し出す、
  いわば鏡になるという手法です。
  
 もちろん、ぼくは賢治のように高度に
「歩く」ことを技化することはできない。
でも、「鏡になる」という感覚はなんとなくわかる。
激しくはない、ゆったりとしたシンプルな
運動を一定時間以上続けていくと、
やがて雑念や苦しみを忘れてしまう瞬間が訪れる。
やはり、人生は、諸行無常、色即是空、
などと浅はかなりに、気づいたり・・・。
 
 この分割巡礼の最終ゴールは、
まだ数年先になるだろう。
イエスの12人の使徒で最後の殉教者といわれる
ヤコブが発見され、9世紀に築かれた
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂。
蝸牛の歩みのような800キロ。
その800キロ先にある、ガリシア産の花崗岩で、
組み上げられた聖門をくぐる日に、
少しづつ、近づいていこうと思います。
 
 今年は新しいバンドを2つ、立ち上げた。
技術がしっかりしていて、大人のインタープレイが、
できる楽しいバンド。
秋から、ライブの予定もあるので、
うまく、まわしていこう。




5月の日記


 冷や汗

 時々、生徒さんから
「先生みたいに何でもパパッと弾けるように
なりたいんです」
みたいなことを言われることがあります。
別に何でも弾けるわけでもないんだけど
(実際、弾けないものは弾かない)・・・
と内心思いつつ
初見演奏について考えてみました。
いつも、サロンコンサートの
セッションコーナーでも、クラシックやらジャズやら
ブラジルものなど
場が盛り上がってくると、あれやろう、これやろうと
様々なジャンルの曲名が
思いついては、飛び交います。
提案があれば、断らない!(・・・なるべく)
楽譜さえあれば、知らない曲でも
敵前逃亡しない!(・・・撃沈覚悟で)
アドリブがまわってきても、
恥ずかしそうに弾かない!
(間違うときは自信満々で間違う)
結局のところ、こんなスタンスで場数をたくさん、
こなしてきたから、
少しは臨機応変に演奏できるように
なってきたのかもしれません。

 クラシック音楽のようにカチッと
書かれた楽譜で、
かつコードネームの表記がないものを
初見でこなすのは
やはりある程度の訓練と時間を必要とします。
初見でウッと一瞬、止まりそうになる状況は、
ざっくり2パターンあると思います。
1つは複雑な和声に対応しきれない時です。
しかし、なるべく演奏を中断したくない時に
役立つのが和声学の知識。
和声学を学んでおくと、
絶対に省いてはいけない重要な音と、
少し重要度の下がる音を識別できるようになるので、
複雑な和声から、応急処置として、
音を抜くということができるようになる。
(もちろん、横の和声の連結が不自然に
ならないような注意も払いながら)
もう1つの状況はリズムが読み切れない時。
特にシンコペーションのリズムで、
落ちやすい。(ずれやすい)
シンコペーションは、どこに拍の頭があるか
わからないというのが心地よさでもあるわけですが、
聴衆はともかく、演奏者自身が、今、
何拍目に乗っているのかが
わからなくなってしまっては、
アンサンブルは、やがて空中分解してしまいます。
普段から、メトロノームを
使った練習を習慣化したり、
シンコペーションの多用された曲や変拍子の曲を
あえて課題曲に選んだりして、
鍛えておくこともリズムの初見能力の向上に、
つながるでしょう。

 さて、上記の状況は主にクラシック音楽での
初見対策ですが、一方、
ジャズのように簡素なメロディーと
コード譜だけで初見演奏をする場合もあります。
クラシックとは逆で、
ここでは少ない情報から即興で、
どれだけ音楽を豊かにできるかが
重要になってきます。
ギタリストがジャズセッションにのぞむ時、
テーマメロディー、バッキング(伴奏)、
アドリブがすぐに
弾けることは、絶対条件です。
(余裕があれば、イントロ、エンディングなどの
アイディアも仕込んでおくべき)
テーマメロディーはコムズカしいものもありますが、
ジャズスタンダードの多くはクラシックの
初見をある程度、

こなしておけばそれほど困りません。
バッキングでは、どんなコードにも
対応できる必要がありますが、
ギターは開放弦を含まない基本フォームを覚えて、
それを横にずらすだけで
すべての調が弾けてしまえるので、
ピアノに比べてずいぶんと
覚えることが少なくてすみます。
気合を入れてトレーニングしたら、
基本コードでの初見はわずか数か月でも、
かなりのレベルになります。
1つの曲を4ビート、16ビート、ボサノバなどの
様々なリズムパターンで
弾けるようにしておくのも楽しい。
コードを覚えるモチベーションにとって大切なのは、
コード初見に強くなりたい!と、いう強い願望。
また、和声学の知識が演奏を楽にしたり、
音楽を深めるために重要であると
いう認識があったなら、
さらに上達に加速度を与えることは
間違いありません。
アドリブ、とくにジャズやボサノバのスタンダードで
転調しない曲を探すのは難しい。
転調しない曲では1つのスケール(音階)を
弾いていればいいのですが、
転調する曲は、コードに則したスケールの
チョイスが瞬時に求められるので、
いくつかのスケールの練習や、
やっぱりこここでも和声の基礎知識が役立つ。

 結局、初見に強くなったり、
魅力的なパフォーマンスしたり、
芸を深めるのに近道はないですね。
知識やネタの仕入れも大切ですが、とにかく、
いろんな人と演奏(コミュニケーション)したり、
人前で冷や汗をかいたりの経験を、できるだけ、
たくさん積むことに勝るものはないと思います。
これらの経験を通じて、人の音を聴く、
自分の音を聴く
(往々にして人間は自分のことが1番わからない)、
美しい音を出す、などが、
できるようになっていくのでしょう。
秋のスクール演奏会のフィナーレ、
全員でチャレンジするアルベニスの「コルドバ」の
アレンジがやっと、完成しました!
これから本番にむけ、心をあわせ、
みんなで音楽をつくっていきます。


4月の日記


ヘビメタ

 今月、ギタリストのアラン・ホールズワースが
亡くなったというニュースを聞いた。
死因は今のところ不明で、享年70歳。
ジャズ、プログレ、ロックと様々なフィールドで
縦横無尽にプレイしてきたホールズワースだが
正確に言うならば、どの既成のジャンルにも
属さないギタリストだと思う。
ホールズワースの音楽は間違いなく、
ホールズワースのものでしかない。
主にエレクトリックギターを演奏してきた彼だが、
指を大きく開いた複雑なコードボイシング、
流麗なレガート奏法、
そしてその音色の美しさでは、
世界広しといえ唯一無二の存在であり、
真のミュージシャンズミュージシャンといっていい。
彼を最初に知ったのは、高校生の頃、
大好きだったロックギタリストの
エディ・ヴァン・ヘイレンがギター雑誌の
インタビューで最もリスペクトするギタリストとして
ホールズワースの名をあげていたことから。
ぼくは、さっそくレンタルレコード店に飛んで行き
「i.o.u」というアルバムを借りてきた。
第一印象は「う~む・・・」だった。
聴いたことのないタイプの音楽で戸惑い、
ヘンテコでよくわからないハーモニー感にひるみ、
何拍子かカウントできない複雑な構造に
理解不能で撃沈!
でも、めげずに繰り返し聴いていると、
次第に言葉に言い尽くせない不思議な魅力に
引き込まれていったことを記憶している。
同時期に、これもギター雑誌の影響から、
パット・メセニーも聴き始め、
ぼくの中では、何だかよくわからない音楽の中で、
なんだかよくわからないギターソロをとる、
・・・でも、最高に美しい音の
スーパー2大ギタリストの双頭の1人となった。
以来、ホールズワースはギタリストの
一つの理想形だと思い続けてきたし、
東京に来た時には、ライブにも足をはこんだ。

常に進化し続けた孤高の天才ギタリストの
演奏がもう生で、聴けないのは、とても残念だ。 

 ぼくの高校時代には、
もちろんインターネットなんてものは、なかったから
エレキギターに関する情報は
「ヤングギター」と「ギターマガジン」という
2誌からしか仕入れることは
できなかったと思う。
当時、「ヤングギター」はややヘビメタ及び
ジャパニーズメタルよりのギター誌で、
一方、「ギターマガジン」はロック系はもとより、
ジャズ、ワールド系ギタリストをバイアスなしで
取り上げていたので、差別化というか若干の
傾向の違いがあって、それはそれで面白かった。
そんな情報の少ない時代だからこそ、
ギター雑誌で自分のリスペクトするギタリストが
リスペクトするギタリストを
知ってしまったものなら、
いてもたってもいられず、
(枚挙にいとまがなく、
リッチー・ブラックモアが
アンドレス・セゴビアを
いいと言っていたらセゴビアを聴き
クラシックギターに開眼したりする・・・)
自転車にとび乗って、必死に、
そのレコードを探し回った。

 今は、パソコンをインターネットに繋いで、
ちゃちゃっとキーワードを打ち込めば
聴きたいミュージシャンのライブ音源に簡単に、
ぶち当たる・・・、そんな時代だ。
その気になれば、家を出なくても、
お金をかけなくても
インターネットから多くのことを学べるし、
そこそこの結果も得られる。
深く理解していなくても「それ、知ってるよ」と、
安易に言える時代なのかも・・・。
しかし、演奏や、その他、
人前でのパフォーマンスという行為全般を
成熟させていくには、
インターネットの情報だけでは、
どうしても限界がある。
やはり、時には身銭を切って、学びの場に行き、
師匠と同じ空気を吸って、技を盗んだり、
同じ目標を持つ仲間とパフォーマンスしたり、
議論することも絶対、必要だ。
画面の世界のインターネットには、
空気感というものがないから。

何かを表現する時、この空気感とか間とか、
といったものが、実は一番、
大切なのではないかと思う。
・・・高校時代やっていたヘビメタバンドも
懐かしい。


3月の日記


コルドバ

秋のスクール演奏会のフィナーレで
全員で弾く曲をどうしようか・・・。
毎年、悩みます。
(そろそろアレンジに
取り掛からなくてはいけない時期だ)
初学者、経験者含め、
とにかく全員でステージに立ち、
”どんな段階にあっても音楽の喜びは共有できる!”
という信念から、続けている全体合奏。
メンバーひとりひとり(生徒さんたち)を、
一番よく知っているのは一応、ぼくなので
やはり既成の楽譜に頼らず、
このアンサンブルのために、
そしてメンバーの役割・技量を想定し、
選曲・アレンジをすることにしています。

 去年の秋、
スペイン巡礼の道を全長の1/4ほど、歩いたせいか、
どうもそれからずっと、
スペインへの想いが心のどこかで、
くすぶっているような気がする。
さんざん、これまで飛行機、車、バイクなどを
駆使して旅してきたが
自分の足だけで異国の地を200キロ歩くという
初めての経験には
”歩くこと”こそ旅の最高の移動手段ではないかと、
思わせるほどのインパクトがあった。
山を登って、下って・・・。川にそって歩き・・・。
お腹がすけば道端になる
イチジクの実を食べる・・・。
なだらかな丘で羊たちが草を食み、
森の遠くで牛のカウベルがかすかに
聞こえてくる・・・。
日に照らされ、雨にうたれ・・・。
抜きつ抜かれつの巡礼者たちとは、
いつの間にやら友だちになっている。
どこを切り取っても、秋の深まり行く
美しいスペインの光景は、
すっかり、ぼくの瞼に焼き付いてしまったようだ。

 スペインの音楽といえば、
フラメンコが筆頭のように、あがりますが、
クラシックの分野でも、意外とルネサンス期に
残された作品が多く、
近代でもロドリーゴ、ファリャ、
トゥリーナ、アルベニス、
トローバなど優れた作曲家を輩出している。
そして、どの作曲家もスペインの情景、郷土色、
国民性を色濃く自作品に
反映させている点では共通している。
上記の作曲家の中で、唯一、純粋にギターのために
曲を書いていないのがアルベニス。
ピアノ曲をギター用にアレンジされたものは、
すでにギタリストにとって定番の
レパートリーとなっていますが、
もともとギターのための
オリジナルなものではないかと
錯覚してしまうような作品も少なくない。
組曲「イベリア」をはじめ、スペインの様々な地を、
ピアノの調べで表現したアルベニスは、
フラメンコや、ギターを強く
意識していたのでしょう。
 今年の演奏会のフィナーレはぼんやりと、
スペインものかな・・・と、考えていましたが、
アルベニスのピアノ組曲”スペインのうた”から
「コルドバ」にすることにした。
モレナ山脈からグアダルキビール渓谷の
曲がりくねった平野まで広がるコルドバは
アンダルシア地方の中央に位置する
実り豊かな大地。
紀元前より、フェニキア人、ローマ人の支配、
そして10世紀にイスラム王朝の首都として
栄華を極めるが、
イスラム教、キリスト教、ユダヤ教が共存するという
不思議で寛容な都市でもあった。
アルベニスはこの地に1897年に訪れ、
その印象をこの曲に込めた。
イントロの静寂と荘厳な和声のコントラストは
メスキータ
の鐘の音を模しているのだろう。
続く切ない旋律は、時の堆積の中に埋もれてしまった
イスラムの輝いていた炎を想わせる。
現在、アレンジ中。
今秋はみんなで、
このアルベニスの名曲を楽しみながら、
組み立てていきます。




2月の日記


紙の本

 日々、行うパソコンでのいろいろな作業の中に
楽譜作成というのも、けっこうな割合かと思う。
生徒さんの課題曲、
ピアノ譜からギター譜への移し替え、
アンサンブルのためのアレンジなど。
パソコンで楽譜をつくる最も大きなメリットは、
1ページに何段配置するか、一段に何小節入れるか
などのレイアウトが自由なところ。
そうすうると、複数ページの場合でも、
演奏に支障が出ないような、
譜めくりしやすい楽譜をつくることが可能。
手書きより、ちょっと時間が
かかってしまうかもしれないが、
一度打ち込んでしまえば、移調や
パート譜も一発で出力できるので、とっても楽だ。
こうして作成した楽譜はPDFという形式で
パソコンに保存。
勉強していたり、弾く機会があるであろう既成の
楽譜もスキャナーで読み込んでPDF化しておきます。
すると、パソコンは母体となって
スマートフォンやiPadと同期するので、
紙の楽譜を探す手間がはぶけたり、
出先で楽譜を忘れてしまった・・・
と、いうこともなくなります。
PDFであれば、スマホからスマホへメール添付で
送信することもできるので、これも大きなメリット。

 世の中はますます、
ペーパーレスの風潮が広がっていく。
会議で一人一人に膨大な紙の資料が配られるより、
各自のタブレットにPDF書類として送信して、
取り込めば、実際、紙は必要なくなり、
無駄なゴミも減らせるというもの。
旅行などに行く時もとても便利だ。
タブレットには、いくらでも電子書籍が
インストール可能なので、
移動時間や、長い乗り換え待ちが、
あっても時間を持て余すことはない。
荷物になる本を、
もう持ち歩かなくてよい時代になり、
書籍も新聞もどんどん電子化されたものを
利用する機会が増えるだろう。
 では、読む媒体としての紙が
全くなくなっていくかというと、
そうでもないと思う。
ぼくは、すべて、電子化されたものを
読むわけではなく、
電子化に適したものを電子で読み、
そうでないものは、紙の本を買うようにしています。
読みながら、気になって、素早く線を
引きたくなるような箇所が
たくさんあるものは、
電子書籍よりも、紙の本が適している。
理論書などのような、
ちょっとコムズカシイ類の本も、
線を引きながら読むことが多いのと、
ランダムアクセスが容易なことから、
紙の方に軍配があがるだろう。

 じっくり、なめるように読みたい小説なんかも
紙の文庫がいい。
最近は、また夏目漱石(1867~1914)に
はまっている。
今年はちょうど、漱石生誕150年にあたる。
日清戦争(1894~1895)、
日露戦争(1904~1905)を目の当たりにして、
第1次世界大戦開戦(1914~1918)の年に
亡くなった漱石。
不穏な世界状況、ひりひりした国内の空気感・・・。
彼が作品の中で描いた情景、世相、孤独感には、
不思議と現在と共通するものを
多く感じて、考えさせられる。
没後100年以上経過している、
これらの作家のものは、すでに青空文庫などの
電子書籍で無料に読めるようになっていますが、
漱石は、紙の本で読まなくては、なんだか味気ない。
経年のための紙焼けなどで、
少し読みにくくなった文庫なども
お金を払って本屋さんで買いなおします。
漱石の文章は、とにかく美しいし、
物事を見る多様な角度に
驚かされる場面も頻繁なので、
ついつい赤ボールペンで、興味深いところに
線を引きたくなるから。
同じ作品を何度、読み返しても
新たな発見があるというのも大きな魅力。
 あと、これは誰もが、
少なからず持っている感覚と思いますが、
この本を何ページ読んで、
あと何ページ残っているか・・・、
それは開いた左右のページの比率から、
かりにページ数が印刷されていなかったとしても
フィジカルに伝わってくるような気がします。
この感覚は、ここまで来たんだという
達成感であったり、
先へ進むモチベーションにも繋がるもの。
もちろん、電子書籍にも各ページには
何ページ読んできたかのパーセンテージが
表示されますが、
手に持ったタブレットからは、残念ながら、
この紙の本ならではの質感はあまり、感じられない。
利便性をとりあえず、おいておいて、
情緒を大切にした読書をするなら、
やはり電子書籍より紙の方が向いている。

先日、漱石好きの知人と話していたら、
彼がこう言った。

ー漱石は大好きでいろいろ読んだけど、
 何度もチャレンジして、いつも途中で
 挫折してしまう1冊があるんだ・・・。
・・・それは「草枕」。
なるほど、その気持ちは、ぼくもよくわかる。

ー智に働けば角が立つ、情に掉させば流される・・・

の、書き出しで有名な「草枕」だ。
文庫本で170ページほどの、
決して長い小説ではないのだが、
ちょっと読みにくい、というか、
なかなか心が入り込んでいかないのだ。

この「草枕」というやつには。
それもそのはず、青年画家が都会を離れ、
山奥の温泉場に逗留する数日の物語には
青年がぶつぶつ、独り言を心の中で
つぶやいいてるばかりで、
ストーリーらしきものがない。
印象的な女性は登場するが、
主人公との関係性において何か、
進展があるわけでもない。
とりとめない世間話や、独り言ばかり。
漱石初期の実験的作品で、
ストーリーを排除して、
どこから読んでも、どう解釈してもらっても
いいような作品にする意図があったのだろう。
読みにくいが、冒頭からもわかるように、
どこを開いても美しい情景描写、
心象風景に目を奪われる
小説のようで、小説ではないもののような1冊。
絶対に、紙の本で読みたい「草枕」だが、
読むのには骨がおれる・・・、
というのも正直なところ。


1月の日記


フィンランドの空気

 
 年が明けてから、札幌に数日、帰省しました。
千歳空港に降り立てば、年末から年始にかけて、
だいぶ雪が降り続いていたよう。
実家の屋根は電気で雪を溶かすシステムに
なっているので問題ないが、
庭の車庫の上には、60センチくらい、こんもりと、
まんべんなく雪が乗っている。
そこで、久しぶりに屋根に上って、
雪おろしをやってきた。
毎日やっていたら、うんざりするだろうが、
スコップで持ち上げた重量感のある雪を
融雪機に放り込む単純作業を
繰り返しているとそのうち、
無心となり、やがて何だか楽しくなってきた。
(もっと雪をもってこい!
おれがぜんぶやってやる!という心境)
いい運動にもなったか・・・。

 北海道はやっぱり、冬が一番いい。
美しいから。
北国の家は、極寒を想定し、分厚い断熱材、
頑丈な2重窓などで、しっかりしたつくりに
なっているので室内は本当に暖かい。
ストーブを消しても、しばらくは室温は
そのまま保たれているが、
東京ではストーブや、エアコンを消したら、
部屋はすぐに冷えてしまう。
だから、住宅の中の比較では、
冬は北海道より東京の方が寒い。
 暖かい部屋の窓から、絶え間なく、
音もたてずに空から、
ゆっくり落ちてくる雪に見とれていると、
つい時のたつのも忘れてしまう。
そんな情景にぴったりなのは、
シベリウス
の音楽だろうか・・・。
交響詩「フィンランディア」が有名な
北欧・フィンランドの国民的作曲家、
シベリウスは30代後半、耳の病気をきっかけに
首都ヘルシンキを離れ、
森の中の山荘に移り住み、91歳でなくなるまで、
静かに作曲を続けたという。
国土の1/3が北極圏で、1年の1/3が冬という
フィンランドの冬は厳しく、
気温はマイナス30~40度にもなる。
シベリウスは凍てつく森の中を白い息を
吐きながら歩いたり、
暖炉の燃える部屋の窓から、
樅ノ木や白樺に静かに、
降り積もる雪を見ながら五線紙に音符を
のせていたのだろうか。
交響詩「フィンランディア」は19世紀末、
ロシアの圧政に苦しんでいたフィンランドの
独立運動にも一役買ったようだ。
曲想には雄大なフィンランドの自然と、
ナショナリズムの高揚が、聴いてとれる。

 交響曲や交響詩のような大編成の楽曲で
名を馳せたシベリウスですが、
ぼくは、むしろ彼のピアノの小品の方が好き。
北海道で雪景色を眺めながら、
「ピアノのための5つの小品」(樹の組曲)などを
聴いていると、フィンランドもこんな感じなのかな、
と想像してしまう。
(残念ながらフィンランドにはまだ
行ったことがない)
シベリウスのピアノ曲には雄弁ではないけれど、
極寒の自然の中にしかない澄み切った響きや
空気といったものを感じる。
少し切なくて、穏やかな気持ちになれる音楽だ。
世界的な日本の作曲家、武満徹さんは
作曲について、こういっている

ー私は作曲という仕事を、
 無から有を形づくるというよりは
 むしろ、既に世界に遍在する歌や声に
 ならない嘯(うそぶ)きを
 聴き出す行為なのではないかと考えている。

 シベリウスも冬の森の音に、耳をすまし、
あの透明なリリシズムに溢れた
小さなピアノ曲たちを、
丁寧につくっていたに違いない。
村上春樹の小説
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の
クライマックスでは主人公の多崎つくるが、
かつての友だちに会うため、
フィンランドへの旅に出る。
小説を読んだら少し、
フィンランド旅行をした気分に浸れる。
フィンランドのことをいろいろ、調べていたら、
”エアギター世界選手権”は毎年フィンランドで
開催されているということも知った。
ユーチューブで入賞者の
パフォーマンスを見てみたら、
どれも独創的で面白かった。
でも、ぼくはエア(空気)じゃなくて、
本当のギターを練習しなくちゃね。


2016年の日記

2015年の日記